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創邦Q面

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~笛吹き同人福原徹が往く「この人、この曲」探訪の旅~

第2面今藤政貴の「ぼくが作曲できない理由(わけ)」

初演 創邦21第8回作品演奏会
(20年11月)
企画・構成 今藤政貴
作詞 金子泰
作曲 今藤政貴、今藤政太郎、
七代目杵屋巳太郎(杵屋淨貢)、松永忠一郎
作調アドバイザー 藤舎清之
演奏 杵屋巳之助、今藤政貴、今藤政子、中川綾(以上、唄) 杵屋栄八郎、
清元栄吉、松永忠一郎、今藤政太郎(以上、三味線) 米川敏子(箏)、
中川敏裕(十七絃)、藤舎清之、藤舎呂英、望月太津之、
福原百之助(以上、打楽器)、藤舎推峰(笛) 福原徹(MCの男)

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――今回のシリーズは、その人の作品を一つとりあげて、それについてお話を伺ったり、またそこから話を拡げていきたいなというところなんです。
もともと政貴さんは演奏同人ということで創邦に入られた。それはやはり政太郎先生が創邦21の呼びかけ人であったことで自然に入られたし、それと今藤流の傾向として、新作を演奏したり新作に触れることが、他の長唄の唄の方に比べて多かったと。それが実際にある段階で作曲しようと思われたと。前回のインタビューで、そういうふうに伺いました。それと創邦21が活動していく中でずっと演奏同人としているというのも、良いような悪いようなっていうところもあったでしょうし。

今藤政貴:そうですね、それは難しかったですね。

――創邦ということを関係なしに曲を作ろうとは、思ったりしていたのですか。

政貴:それはあんまりなかったですね。ですから創邦に入ってともかく人が作るのを聞いたり見たりして、ある程度何かしら触発されたっていうことがあると思います。

――しかし創邦以前に、そもそもお父様の政太郎先生は非常にたくさん作曲なさってきた方じゃないですか。そういうところにお生まれになって、門前の小僧ではないけれども作るということも見聞きしていたんじゃないかと思うのですよ。それはどんなふうにお感じになっていましたか、つまり家の中に作曲家がいる状態っていうのは。

政貴:父の場合、作るのは夜中なので、なんだかたいへんそうにしているとか、イライラしているとか、その程度くらいしかぼくは見てない。実際の作業は殆んど見ていなんですよね。父が愚痴るのを聞いていたのは、間違いなく「ぼくが作曲できない理由(わけ)」のヒントにはなっていたと思うんですけども。ま、それにしても、作曲するのにやっぱり苦労はしているらしいということはすごくわかるし、手前味噌ですけど、うちの父親っていうのは音楽家としても作曲家としても優秀だと思うんですよ。「あんなことできないでしょ」っていうイメージの方が強かったですよね。今でも思いますけど。

――たとえば親のやっていることに反発する人っていると思うんですよ。親が作曲していたから嫌だっていう。逆に、それを乗り越えようとなさる方もいるだろうし。その辺のお気持ちはどうですか?

政貴:反発とかはないですね。ちょっとこんなの作れないよなっていう気持ちの方があったですね。作るには、相当な知識とか引き出しとかが要るでしょ?

――作曲はご自分の仕事じゃないっていうかんじかな。

政貴:でまた、ぼくは唄うたいで、実際問題として唄うたいって徹夜はコンディションに響きますからね。夜を徹して作って、翌日声を出すっていうイメージがなかったですからね。唄うたいで作曲なさっている方もいらっしゃって、十四世の杵屋六左衛門師とか、今いる人なら杵屋勝四郎さんとか、いい作曲をたくさんしてらっしゃいますけども、三味線弾きの方が作曲する人が多いのは、そういう理由もあるんじゃないですか。もちろん三味線弾きの方が引き出しが多いケースが多いというのも事実だと思いますけどね。

――それで、創邦に入られてしばらくして、やっぱり作ってみようかなということになるんですよね?

政貴:そうですね、創邦に入ってからの方が見聞きしますよね、作業自体を。それと、作曲って普通は依頼されて作るわけじゃないですか、でも創邦は自主制作、自分で企画立てて作っていくっていう。「どういうのを作ろうか」というところから入ってくると、音楽的な引き出しだけじゃなくて、もうちょっと広く曲を作るっていうことになるから、何かおもしろそうに思えたんでしょうね。
まあしかし、どっちかと言うと他の皆さんが曲を作っている過程を見たことが大きいんじゃないかなあ。個人で作る過程もそうだけど、共同作曲の過程を見ていたのが大きかったように思います。創邦の初期の頃から、共同で作曲をしてみんなで演奏しましたよね。オムニバス的な作品から始まって、ひとつの物語を分担するようになって、といろいろ試行錯誤していましたよね。それを見て、どういうふうに共同作品を作るのか、どういう形がいいのか、ぼくなりに考えていました。作曲者それぞれに個性があるし、それぞれの良さっていうのもわかった上で、どうやったらみんながフルパワーを出せるかっていうのも。

――それで、創邦で政貴さんが最初に作ったのが、「ぼくが作曲できない理由(わけ)」?

政貴:「作った」って言って、ほんとは作ってないんですけど。みんなに「作らせた」っていうか。

――これのネタというんですか、政太郎先生のイメージもあったのかもしれないけど、自分も含めたみんなの作曲に取り組むたいへんなかんじっていうの、それからある種禁じ手的オチというか最初の設定(※)をやるわけですけど。
まずその発想を思いついたんですか?それとも合同曲をやろうとして何かないかなって考えていくうちにあのテーマに行き着いたのでしょうか。

政貴:どっちかっていうと、あの曲のテーマ、テーマというか設定が先ですね。上手くやれば面白く出来るだろうっていう。それありき。

→「ぼくが作曲できない理由(わけ)」あらすじ
作曲家の「ぼく」は、表では「先生」と呼ばれ売れっ子とも言われながら、裏ではバタバタと作曲にいそしむ自転車操業の毎日。称賛の声もぼくの耳にはどこか虚しく響くのだった。
今、とっくに仕上がっているべき作曲が全然できず、依頼主の催促には「あとちょっと」と言ってみたり、あらぬ妄想に逃げたりする始末。やっとの思いで作った曲だが、依頼主の要望に合わせて直すうちに変わり果てたものになってしまう。ぼくは遂に依頼主を拒絶する。全てを失ったぼく。何をやっているんだ?なぜこうなってしまった?―失意の中からぼくはもう一度頭を上げ、「それでも作曲するのだ」と決意する。

※最初の設定
曲の始まる前、閉まっている幕の内がにわかに騒がしくなる。と、幕外に福原徹が出て、「実はこの曲は栄吉さんの部分がまだできておらず、最後まで諦めないと言ってずっと楽屋に籠って作っていたはずなのだが、さっきからその姿がどこにもない」と客席に告げる。それから幕が開くと、もちろん栄吉も含め誰一人欠けることなく、完成している曲が演奏された。

――それは前から温めていたのではなくて?

政貴:いやあ、ある時思いついた。自分も何か作った方がいいのかなと思っていたからなんですかね。すぐに金子さんに、やりたいから書いてくれる?って持ちかけた。

――まあ合同曲が少しマンネリ化してきていて、その打開策みたいな面もあったわけですしね。この作品が創邦にとってたいへん画期的であったことのひとつは、政貴さんがいわゆるプロデュース的な作業を、音楽的な意味で「切った貼った」をした。つまり、同人が作ってきたものをそのままくっつけてひとつの作品ですってするんじゃなくて、「素材」として、加工した。その作業は、最初から自分でやろうと思っていたわけですか、それとも結果的にそうなってきたわけですか。

政貴:もちろん最初からそのつもりだったし、もっとやろうと思っていたくらいですね。 共同作品だったらなおさら、責任者がいる形の方が主張が出てくるっていうか、曲自体に迫力が出るんですよね。「こういきましょう」っていう思いに誰誰がついていく、「悪いけどついてきて」っていうようなね。 といっても、いろいろ具体的な作業は栄吉さんにやってもらったんですけど。

――作曲のメンバーは、政貴さん、栄吉さん、あとは・・・?

政貴:栄吉さんには「要は栄吉さんの技術が欲しいんだ、悪いけど技術屋になってくれ」と頼んだんです。栄吉さんも「その方が自分の我が出ないで気が楽だ」って言ってくれた。あとは素材を作る人が何人か欲しいっていうことになった。そこへ淨貢さんと忠一郎さんと、うちの父が手を挙げてくれたんですね。
やっぱり栄吉さんってすごいと思いました。すごいというのは、もちろん音楽的な能力もすごいんだけど、あのぅ、大胆なんだよね。「えっ?こんなに切っちゃうの?」みたいなね。でも多分これね、ぼくが矢面に立っているから栄吉さんもやりやすいし、ぼくも「イヤこれ栄吉さんがやったんで」って言えるじゃないですか、お互いのせいにして、やれたと。そう思う。そこらへんのところのコンビネーションが栄吉さんとうまくできた。

――栄吉さんが切ったところって、具体的には、曲がだんだん壊れていくくだりがそうですよね。

政貴:そうです。あとはほとんどそういうことはしていない。一か所、淨貢・政太郎で二種類の曲が同時進行の入れ子のようになるくだりがあって、そこも最初は栄吉さんに切り嵌めみたいにしてもらうつもりだったんだけど、「これは切りようがない」っていうことになって、そこは唄い口(うたいくち。唄い方による雰囲気の出し方)でいじった。片っ方の淨貢先生の曲は大薩摩で、もう片方の政太郎の曲はちょっとムーディーなかんじでテイストがかなり違っていて、いやもちろん違っているのが狙いだったんだけども、ここで大薩摩をあんまり武張ったものにすると、同時進行としてちょっと厳しいんですね。
たぶん、淨貢先生がここを大薩摩にしたのは、これはまったくぼくの想像ですけど、「秋色種」を意識したんじゃないかと思う。

――ほう。

政貴:「秋色種」で、難しい歌詞のところを大薩摩にしていますよね、それをやったんだと思うんですね。で、そうだとすると、「色種」だって大薩摩といえどめちゃくちゃ激しくはならないから、少し柔らかめというかそういうやり方でつなげてみた。そういう、いろんな手は使いました。

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