

~「この人、この曲」探訪の旅~
第4面第4面 今藤美治郎の「日本昔話より ねずみ経」
④
今藤美治郎は慎重である。そして自らを語りたがらないように見える。同時に、安易に語られたくないという意思をも感じられる。だから安易に語ってはいけないと思うのだが、そんな中で、聞き逃せない発言があった。
「たとえば、これはこんな風にしたら面白いんじゃないかと想像して話すことがあるでしょ、その「面白い」っていうのがわからないの。何が面白いのって思っちゃう。これとこれをこうしたらおもしろいんじゃないか、って言う、その面白いってどういう意味なんだろうと。」
インタビューの中で少しの沈黙のあとでこの発言が出てきたとき、穏やかな声柄とややぶっきらぼうな言葉によって、揶揄というか痛烈な皮肉を言っているのかと思った。でもすぐに、そうではないとわかった。本当に疑問に思っているのだった。素直な、まっすぐな気持ちなのだった。続けてこうも言ったのだ。
「その「面白い」っていうのが笑えるっていうことではないのはもちろんわかる。」
「音の並びで面白がらしてよと。」
美治郎が見ている地平がたしかにあるのだ。
もうひとつ。
古典作品や先人の作品に対して、「ぼくは、手が、構成とかじゃなくて、手が、こんな手がどうやったら思いつくんだろうと、そればかりですね。」と言った。
冒頭に語った「新しいものをつくらなきゃ」と美治郎が求めた「新しいもの」とは、構成や飛び道具的な手法の発明ではなく、新しい手、音の並びなのだった。
おそらく、斜に構えた風でいながらその実は今もなお、まっすぐに、正面から先人たちに四つ相撲を挑んでいるのだ。(とあんまり言っては営業妨害になるかしら?)
美治郎はどこまで聴いているのか、どこまで見通しているのか。その一端を垣間見たい。美治郎自身は「当たり前」と思って口にしない視線の高さを知って驚愕したい。だって、なんだかとっても面白そうなのだ。わくわくするしかないじゃないか。
ききて:金子泰


