創邦21 第16回作品演奏会 創作Q面 創邦11面相

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ヨミモノ

創邦11面相

笛吹き同人福原徹が活動中の10人の仲間を巡る旅、題して創邦11面相
今月は本郷の東大学食で金子 泰と語る

金子泰/福原徹篇

確証と確信 [前篇]

「11面相」大団円へ

福原徹:この「11面相」、連載の時は思わなかったけど、全部まとめるとけっこうな分量なんですよ。実は金子さんや僕の回はどうするか気にしながらずっと棚上げにしてきたわけで、僕はインタビューの端々でチラチラ自分のことを喋っているし、こないだの政太郎さんに逆インタビューもされたりしています(政太郎篇・番外篇)ので、まずは金子さんの話を伺いつつ、今までのことも振り返りつつ、2人一緒の回ということでお願いします。

金子泰:お願いします。企画を予告したのが2014年の演奏会プログラムで、その少し前、例会で徹さんがHPに同人同士のインタビューを載せたらいいんじゃないかって提案なさった。インタビュアーは徹さん。それしか決まっていなかったんですけど、私がやや前のめりに見切り発車しちゃえと思って、プログラムの「ホームページ紹介」の中に予告を入れてもらいました。その年の暮に、第1回の忠一郎さんのインタビューをしました。

徹:創邦21のHPを作ったはいいけれど、どんどん新しいものを入れていかないと見てもらえない。それで思いついたのがインタビューの連載だったんです。同人同士で訊いたらどうなるんだろうと思ってね。
僕自身が興味があったのが、創邦の人って、金子さんは別として、みんな演奏家。演奏家としてそれぞれに立っている人たちなわけですよ。つまり、曲なんか作っていなくたって全然やっていかれる、作る必要がないように見える、しかもかなり忙しい人たち。それがなんでわざわざ面倒くさいことをやっているのかなっていうのがあったんですね。作るのってすごく大変だし恥ずかしいし。まして自分のキャリアがあればあるほど、「なんだ、あの人こんなの書かなきゃいいのに」ってなっちゃう可能性もあるわけでしょう。その危険を冒して、つまり演奏家としての自分の評価をもしかしたら下げてしまうことになりかねないことをやっているわけですよ。それには何か原動力があるはずなんだけど、みんなそのことについてはあまり語らない。お互い同士、訊きもしないし。でもよく考えたらそれって不思議だなあ、なんでなんだろうと思ったわけですよ。
それから自分自身も含めて、作っている同士は技術的な細かいところは話したとしても、根本的なところは話さないと思うんですよ。話せないっていうのもある。そこを自分も知ってみたくて、もしかしたらそれが自分にとっても創作のヒントというか、「ああ、みんなこうなんだな」みたいなある種の励ましにもなったらいいなと思って、インタビューをやってみたいと思った。
さらに欲があった。ぼく自身、わりと曲を作るときに人に話をするタイプなんですよ。思い浮かんだアイディアとかを人に話しているうちに自分の考えがはっきりしてきたりする。それと、人からインタビューされたときに自分で気が付いたことも、いくつかあるんですね。自分では思っていなかったんだけど、人から訊かれてみて初めて「ああ、自分はそうだったんだ」みたいに気が付いたことがあった。それで、自分はプロのインタビュアーではないからそんなことができるとは思わないけれども、もしかしたら、インタビューをされるということで、その人が次へ進む何かきっかけなりエネルギーみたいになれば、なんて思った。創邦の同人同士だし、ある程度時間をかけて突っ込んだ話をした方が、訊かれる同人の方もなにか刺激になるかもしれない、という気持ち。ぼくだけじゃない、このインタビューを読んだ同人同士でも、あいつそういうふうに考えてたんだみたいな、励まし合いのようなことにもなれるのではないかなと。
ただやっぱりものすごく時間がかかりましたね。

金子:かかりましたね。

徹:当初は1か月に1人、休会していない同人が、僕も入れて11人、1年間で一回りするという目算だったでしょう。創邦21と怪人20面相とを引っかけて「創邦11面相」って題名にして。で、そのあとひとりおやめになったから、実際には10面相になってしまったんだけれども。

金子:2015年の13回演奏会は全部再演ものと既に決まっていたので、新しく歌詞を書かなくていいからその分11面相の原稿作りができる、そうしたら1年でいけるなと思っていたんですけどね。全然見通し甘かったです。すみません。

徹:話を聞くだけだから簡単かと思ったらそうでもなかったね。やっぱりまとめる金子さんの負担が大変だったと思いますよ。ぼくはただ好きなことをペラペラ訊いて話してってしていたけど、それを文章にして読み物にした。これはほとんど金子さんの仕事ですよ。

金子:まあ、たいへんじゃなかったとは言いませんが、面白かったです。同席して黙って聞いていましたけれども、話があっちこっちいっていながらなんとなく集約していく様子が見えていく瞬間が毎回ありましたよね。まとめる時にも、そういう隠れている水脈みたいなのを見つけるのが面白かったですし。

徹:それはありますね。発見もありましたよね。その人に対する発見もありましたし、僕自身、自分も作っていきたいなと思いました。あとやっぱり8人訊いてきてほんとうに8通りあって、それぞれが熱い思い、甘いものではなくて骨太な思いがあるってことがわかって、それがとっても面白かったですね。僕自身もすごく刺激を受けたし、僕が実は一番得しているかなというかんじがする。それをまた金子さんが実に上手にまとめてくださった。仲間だからだし、しろうと―プロのアナウンサーやインタビュアーじゃないからこそできたことでしょうしね。第三者が見た場合、たいへんお目まだるき部分が多々あるのでしょうけど、たぶん話す側も気楽に話せただろうし、話し合えたと思うんです。

金子:わかります。だから口調はわりとそのまま生かして、くだけて喋っているところ、ですます調のところ、しろうと仕事の無手勝流で敢えてそのままにしてみました。臨場感というか、正味がわかるようにというつもりですが、読みづらくてすみません。

徹:こちらで筋道つけたりして整えてないので、わかりにくいところもあるかもしれないけど、それも含めて眺めていただけたらと思いますね。それで、「毎月連載・1年で完結」っていう当初の予定から大幅に遅れてしまったのはお詫びしなくてはならないのですが、ともあれありがとうございました。

金子:ありがとうございました。私ね、この「11面相」でお話を聞いていて、創邦に入る前はみんなあんまり作ってなかったんだって今頃わかって、今頃安心したんですよね(笑い)。

徹:創邦21は結局、作曲をしていたひとたちが集まったのじゃなくて、作曲をしたいという人、こいつは作曲できるんじゃないかなという人を集めて「作曲しよう」という集まりで、政太郎先生とか淨貢先生が昔長十郎先生にやってもらったように、若い人たちにそういうチャンスを作ろうとして勉強会を始めたわけです。そこが面白いところだよね。

人間到処有青山

徹:金子さんは演奏家ではない。そういう文芸同人を抱えているのがこの会の特徴でもあるのですが、そもそも、たとえば作家になりたいとか、物書きになりたいとかいう願望はあったんですか。

金子:それは、漠然とあったと思います。私、26歳の6月に政太郎先生に入門したんです。それがね、政太郎先生がよくいらしていた、お住まいの近所のシチュー屋さんがあったんだけども、そこに私もよく行っていたし、アルバイトもしていたんです。そこのおばさんにとてもよくしていただいていたのですが、あるときお喋りしていて、「邦楽を習ってみたいんだ」って言ったんです。

徹:え?なんで?

金子:何か和もので音楽をやってみたいと思って。

徹:もともと金子さんは東大の仏文にいたわけじゃない?そもそも東大の仏文に入ったのはなんでなんです?

金子:フランス語をちゃんとやりたかったのだと思います。

徹:フランスのものにあこがれていたわけ?

金子:好きでした。1920年代くらいの文化状況がまず好きでした。しかも大学に入った頃はバルトだフーコーだって、フランス系の人文科学が盛り上がっていましたし。でも今思うと、日本の古典はもちろん好きだったのですけど、古典文学って、みんなが、誰もが当然好きなものだと思っていたんです。で、そのうえに何かっていうときに、大学を受けるときに第2外国語も希望を出して教養課程で履修するわけですが、それの成績があんまりよくなかった。それではいかんと思って、それで仏文にしたわけですが。。

徹:ああそうか、入るときに学科を決めるんじゃないのか。でももともと日本文学は好きではあったんですね。本はけっこう読んでいたのですか。

金子:いえ、それがあまり読まない方です。文学科といいながら文学はちょっと・・・。

徹:鳥取のご出身ですよね。高校までは鳥取?

金子:はい。そうそう、高校生の時、親にねだって文学全集を買ってもらいました、古典文学全集を。

徹:岩波の?

金子:いいえあの、小学館の。全訳のついている方を(笑い)。

徹:図書館にあるやつね、赤い表紙の、ビニールみたいなのがついている。あれ、僕もよくお世話になります。あれを全巻持っているんですか。

金子:だからって全巻を一所懸命読んだわけじゃなくて、気が向いたら読む程度ですけれど。

徹:古典に興味があったんですね。でも邦楽は知らなかった?

金子:そう。邦楽は歌舞伎の後ろでやっているぐらいしか知らなかったですね。

徹:歌舞伎は見ていたんですか?

金子:よく見に行っていました。でも邦楽の演奏会っていうのがあるのは知らなくて。

徹:じゃ、ご自分がお箏弾いたり三味線弾いたりっていう経験は・・・

金子:なかったです。うちに邦楽器ってなかったし。いや、あったけどしまわれていたし。

徹:で、大学入られてシチュー屋さんで邦楽のお稽古してみたいっていう話をして?

金子:そうしたら、「うちによく見えている邦楽の先生がいて、お弟子さんとかもよく連れて見えるんだけど、立ち居振る舞いからして偉い人っぽいけれども偉ぶっていなくて、どうもいい先生みたいだし、紹介してあげようか」って言ってくださって。

徹:そのおばさんは政太郎先生の三味線は知らないわけ?

金子:どうだろう。少なくとも、先生が創作をよくされることは知らなかったと思いますが、良かったら聞いてあげようかっていうので、お願いしたんです。そしたら先生が「ああいいよいいよ、いらっしゃい」ってなりまして。

徹:三味線をお稽古しているんですか?

金子:いえ、唄を。

徹:それがどこで「作ること」に繋がるわけ?

つくる。

金子:あるとき先生に「君はどうしたいんだい?」って訊かれたんですね。唄うたいになりたいのか、あるいは何をしたいのか。私は、演奏家になるんじゃなくて、書きたい、作るのか評論みたいなのかわからないけれど、書きたいと言ったんです。文字の方に行きたいと。そしたら「そうか」とおっしゃった。習い始めて1、2年くらいのときです。

徹:金子さんが習いに行った時の動機というのは、単に唄を教わりたいから?邦楽の作家になりたいとか評論家になりたいとかいうのが念頭にあってですか?

金子:とりあえず知りたかったんですよね。たとえばアルゲリッチが来て何を弾く、そのプログラムはぜひ聴きに行きたいね、そういうふうに邦楽でもなりたいと思いました。政太郎先生には、知るためにはまず習いなさい、習わないとわからないよと言われました。それはそうだなと思いましたし。そうこうしているうちに97年になって、政太郎先生に、今度こういう創作の会を作ったんだけど、日本の音楽はことばがなくちゃ始まらないから文芸部もあるといいと思うんだと。皆さんには、歌詞を作る文芸同人もいた方がいいね、みたいな下話はして同意を得ている。良かったら君、やる気はないかいと。良かったらぼく、皆さんに聞いてみるけれどって言われまして、ではお願いしますと。

徹:その時点で何かもう書いてらしたわけ?

金子:それが全然書いたことなかった。なんかいけるかなと思ったんですけど無謀ですよね。

徹:無謀っていったら政太郎さんだって無謀だけど、金子さん本人もけっこう勇敢だよね。

金子:ね。それで、入るためには何か書いたものを持参するようにと言われて、急いで習作ですが書きました。それはのちに曲をつけてもらって演奏会にも出た『梅に寄す』っていうの。でも私が言うのも口幅ったいですけど、皆さん意外に、これから創作がんばりましょう!ってかんじだったじゃないですか。

徹:そうそう、最初はね。具体的にいつ演奏会をというわけでもなかったし、ただ集まって創作のあれこれを話したり、作品があればお互いそれを聴き合って批評したりみたいな、そんなかんじでしたよね。金子さん自身も何書いていいんだかわからない、みんなも何作っていいんだかわからない、ある種対等だったんじゃないかなあ。

金子:結果的に団体として、異質な人がいたのがよかったのかもしれないです。

徹:異質というか、政貴さんの存在もややそうなんだけど(注:政貴は当初演奏同人として参加していた。政貴篇参照)、作曲をしない同人がいたということですね。制作も外部の方にご協力願っているじゃないですか。本来この規模の会だったら制作なんて自分たちで全部まかなうのが普通だと思うのだけども、こうやって外というか客観的に見てくれる人がいるのって、全然違う。たいへん心強い。

金子:一般的な目を教えてくれるっていうかね。

徹:金子さんはインタビューを聞いてきて、ある意味相手の発言を一番捉えていると思うんだけど、どういうかんじですか。発見はありました?

金子:どうしてこの人はこういう音楽を志向しているのか。こういう理由でこういうルーツがあって今があるんだっていうのがわかりましたよね。目指している音楽もはっきりおっしゃってましたよね。一緒に作るときはもちろんどういう風な曲にしようかとか相談はしますけれども、それは具体的な話ですから、根っこのところはわからないままでしたので。

徹:いままで創邦では、基本的に依頼されて作っているのですか?それとも自分から作ろうとしているのですか?

金子:依頼されてお題を出されたり、あるいは話をして、じゃあこういうふうにしましょうかって提案してみたり。こちらから題材とかを提案することもあります。

徹:自分がつくったことばに曲がついていくのはどんな風に感じるものなんですか?

金子:鏡を見て「わりといいんじゃない?」と思っていた自分が実は醜悪だったと見せつけられるかんじでしょうかね。

徹:それは曲がよくないのじゃなくて?

金子:いやいや(笑い)。でもね、一番どきどきするのは歌詞を作曲者に渡すときで、曲がついちゃったらもう私のものではないってかんじがあるので。

徹:ま、かなり客観的に見られるわけですね。しかしそういうのは将来的にどう解決していけばいいのかしら。つまり詞に問題があるかもしれないし、曲に問題があるのかもしれない。作曲者を選ばなきゃいけないかもしれない。

金子:うーん。たくさん作っていくしかないんじゃないでしょうかね。 いろいろな同人と一緒にさせていただいて、徹さんとも何回かありましたし、まあ今回もご一緒なんですが、徹さんとやるとなんかね、敏腕編集者に「もっとあるでしょ」「もっと書けるでしょ」ってオシリをたたかれている凡庸な作家って気持ちになるんですよねえ。

徹:(爆笑)そうだ、けっこう全取り換えとかもしてもらったもんね。申し訳ない。 曲の作り方についてはあまり注文はしないですか?

金子:注文というより、ここはこういうつもりで書いたんだっていうようなことは伝えますし、もちろん訊かれますよね。作曲者からはだんだんいろいろ言われるようになってきました。でも言われた方がありがたいですから。

徹:金子さんはなんで詞をつくっているのですか?みんなは演奏家だから、発想の原点は自分が弾くってことになるじゃない。でも金子さんの場合は自分が唄うわけじゃないし、曲をつくるわけでもない。パフォーマンスとは一番遠い。しかし一番原点を作ることになる、曲が先でない場合は。

金子:なんでっていうのとはちょっと違うけども、自分の世界を出したいために書いているわけではないんですよね。一般的にものを作るときに、いろいろ作品はあるけれども、結局言いたいことって一つか二つに集約されると思うんですよ。それの見方、光の当て方、あるいは切り取り方が人によって作品によって違っていて、そのとき自分のやりたい切り取り方にはどういう表現が最も適切かを探す。表現方法を模索していく。

徹:今は長唄の作品を書いているけど、小説とか芝居の台本とかそういうのを書いてみようと思ったりはしないですか。

金子:以前は芝居の脚本もいいなあなんて思ったこともありましたけど、今は歌詞の抽象性、要は少ない言葉で、時空も時代も行き来が自由で、音がついてやっと一人前みたいなところがすごく面白いと思っています。

徹:金子さんは音楽が好きなんだろうな。

金子:たぶんそう。

徹:もしかしたら作曲とか演奏をするかわりに作詞をしているのかしら。

金子:・・・音楽と、ことばと、古典文学と、伝統芸能とまあ、好きなものが集まってますから邦楽の作詞がちょうどいいのかもしれません。

徹:そうするとこれからもやっぱり書き続けるんでしょ?

金子:「もうこれ以上のものは書けません、辿り着きました」っていう所にまだ到達していませんから、次はもうちょっといいのが書けるかな、次はいけるかな、でやっていくんだと思いますね。

徹:いいもの、いい曲っていってもいろいろですけど、どういうのをいいと思いますか。要は音楽に何を求めるかっていうことなのかもしれませんけど。

金子:聴き終わったあとに残って、折にふれて思い出したりする曲、でしょうか。感動の押し売りみたいなのは違うと思うし、みんな頑張ろうよ!みたいなのは・・・

徹:苦手でしょ?

金子:(うなづく)

徹:では、わかりやすい曲というのではないね。

金子:はっきりしたものではなくて、何か曖昧というか揺れるかんじのもの。割り切れなさっていいますか。

徹:ある種の曖昧さをちゃんと残して・・・美しき曖昧とでもいうのかな、アレ曖昧になっちゃった、ではなくて曖昧でなくてはならない曖昧さというかな。

金子:もしかしたらそういう部分は演奏でどうにかする部分であって、作品そのものはもっとクリアでなくてはならないのかもしれない?どうなんでしょう。

徹:ああ。でもそれはいろんなケースがあるでしょうね。

金子:いわゆる新作っていうのは頭から終わりまで筋が一本通っちゃっているじゃないですか。昔の作品は、はじまりからはおわりが全然想像もつかないようなものが多いでしょう。そういうのもいいなあと思うんですよね。

徹:でもそういう方向にいくとね、結局ふつうの邦楽になっちゃうんじゃないかっていうこともありますよね?何をやっても結局「春夏秋冬」で「もののあはれ」を言って終わりっていう。でもそれをやりたいわけじゃないでしょう?

金子:うーん、それはそうです。

徹:やっぱり過去の名曲はやっぱり曖昧さが必然性もあるし美しい。意味だけを考えたらくだらなくても、それが曲になったときに必然性が出てきて流れがちゃんとある。でも現代でそれをやろうとすると、ただのムダみたいになりがちですよね。それはどうしてなのか。

金子:ひとつは、わかってもらわなきゃと思って作ってしまうことですかね。だから歌詞に説明はおろか分析まで入れちゃったりする。ここはこうやって読んでください、みたいな。でも、わかるわからないじゃなくて、感じる感じないでいいんじゃないか。

徹:そうすると金子さんはあまり注釈を加えないものを作りたい?

金子:注釈というか、分析、を、自分でしないようにしよう、ですかね。

徹:もともと作家志望でもないし、作曲志望というわけでもなかった、どっちかというと学問的というかな、そういう方から来た。だからもしかしたら自分が作ろうとすると説明的になりがちなのかもね。

金子:そう。そうなんですよ。

徹:作ろうというのはさ、なにか衝動的なものじゃない?だから説明不足なんだよね。で、説明しがちになっている。だから今はそういうところを削りたいと思ってらっしゃるんじゃないかな。

金子:実は気付いてましたけど、どうも自分の得意じゃないことをやってるんですよね・・・。

徹:でもね、それってよくあると思うのよ。実は僕がそうだから。

・・・後篇につづく

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