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リレートーク 18走目

2020.05.16(土)

『勧進帳』は、歌舞伎でも長唄でも指折りの人気演目です。
 ぼくが『勧進帳』でまず第一に思うのは、ともかく長唄がよくできているということ。
『勧進帳』の長唄は、お芝居の「ト書き」だけを演奏するようなものです。にもかかわらず、相応の方が演奏なさると お客様が皆喜んでくださるという、たいへん珍しい曲です。
そのくせ技術的にはそれほどでなくても弾けます。これは、いかに四世杵屋六三郎(杵屋六翁)が作曲者として優れているか、その力を端的に示すものです。

 

そして、弁慶と富樫という、判官義経を取り巻く人たちの自己の利害を超えたところにドラマがスリリングに展開されていくところが、劇としても成功しているのだと思います。

 

ここでぼくは不審に思うのですが、長唄の『勧進帳』の元である能の『安宅』では、富樫は弁慶の嘘を見抜けず、逃してしまったということになっているらしい。もちろんこれは能の方によく聞いてみなければわかりませんが、ともかくそのようです。
でも歌舞伎の方では、弁慶は滅びゆく運命の主君義経に、忠義というよりまさに人間の情というべき不思議な力に突き動かされて、知恵と勇気とで守り切っていて、富樫は途中で(あるいは最初からかもしれない)それと知りつつ、自分の部下たちを騙してまで、義経主従の美しさに打たれ、まさに自己の利害を犠牲にして関を通し、一行を逃がします。
歌舞伎の『勧進帳』ではどうしてこのようになったのか、ここがぼくの興味あるところです。それはやはり、幕末の江戸の人たちの気持ちを舞台が代弁しているからではないでしょうか。江戸人の心意気が舞台に反映されているのだと思います。

 

富樫はその後どうなったのでしょう。
どうしてそのような行動に出たのでしょう。
そこがたいへん気になっています。そのあたりのことを何か作品にしてみたいと思っています。

 

次の質問は福原徹さんにします。
この頃思うことを教えてください。

 

今藤 政太郎

 

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