トップページ > ヨミモノ > [創邦11面相] 松永忠一郎篇 ~古典的スタイルにこだわる理由~ 前篇

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創邦11面相

笛吹き同人福原徹が活動中の10人の仲間を巡る旅、題して創邦11面相
今月は神宮前のアウディ・カフェに今藤政貴を訪ねる。

今藤政貴篇

作品に込める等身大のメッセージ [前篇]

始めは演奏専門

――政貴さんは最初、作曲はせず演奏を担当する「演奏同人」として創邦に入られましたよね。当初から、そのうち自分でも作曲しようという長期的な目標はあったわけですか?

今藤政貴:それはなかったです。父(今藤政太郎)が呼びかけ人のひとりであったので、ま、半分お付き合いというか。でもやっぱり環境というのか、先代の(今藤)長十郎先生が昔「創作邦楽研究会」を立ち上げる中心メンバーでしたから、長十郎先生ご自身もそうだけど今藤という流儀の伝統として、創作をしなくてはならないという使命(感)があって、ぼく自身も、新作で頼まれてそれを覚えて演奏する仕事の比率は、たぶん他の流儀の方よりは高かったと思うんですね。だから、新作を演奏するために何らかのグループに入るということ自体に、それほど拒否感とかはなかったです。まあ何かで役に立てるんであれば、というくらいですけど。

――そうですか。ぼくは政貴さんの例会での発言なんかを聞いて、この人は作りそうだなと思っていましたけれども。演奏同人として入られて、どんな感じでした?

政貴:なかなか難しい立場ではありました。というのは、まず演奏同人がすごくたくさんいるっていうわけじゃなくて、ひとりでしたから、ちょっと負担だったですねえ。それは実際に覚え物が演奏会直前ギリギリに何曲も来て大変だったという意味と、あいつに何か役をつけなきゃっていう配慮がどうしたって起きてきますよねえ、そのこと自体も負担で、あんまり健全ではないなと思ったりすることもありましたね。それはそれとして、結果的にいろんな曲に出会うことになったので、それは自分の中で刺激にも勉強にもなりましたから、ありがたいことではあったけど。それと、自分が曲を(演奏会に)出してないと、他の人や会全体を割と冷静に見られるから、組織を見るっていうことでは、もしかしたら面白い立場だったかもしれないですね。

――それがある時「作曲同人」に変わられるじゃないですか、何かきっかけがあったわけですか?

政貴:あのー、結局ねえ、『ぼくが作曲できない理由(わけ)』、これの構想ができて、作ってみたかったっていうのが一番大きいんですね。これがひとつ。もうひとつ、大勢で作る「合同作曲」というのが、何回かやってきてやり方がやっぱりワンパターンになってしまっていると。全部を統括する人なしにそれぞれが分担して作りますと、どうしてもどこかパッチワークになってしまう。それは演奏する身としては、やっぱり感じてしまうんですよね。みんな自分の担当部分を一所懸命やるのはすごく大事なことなんですけど、そうすると総花的(そうばなてき)になってしまう、ともすると冗長にもなってしまう。みんなの顔を立てないでもいい作曲の形っていうのができないかと思っていたところへ、たまたま『ぼくが~』のコンセプトが思い浮かんだんで、それを材料にして作れないかって考えたんですね。それには、他の人が作っているのを聴いていた刺激が間違いなくあったんです。あっそこ面白いなとか、逆にここは自分だったらこうはしないな、とかね。それで、この人たちがバラバラに作るんじゃなくて一緒に作ろうとしたら、どうなるんだろう?みたいなことを実験してみたくなったわけです。

プロデューサー・政貴

――そうすると、作曲というよりもややプロデューサー的というか・・・

政貴:そうですね、広く言えば曲作りだと思うんですけれども、自分本来の音楽性を発露させるというよりは、面白い曲を作るにはどうしたらよいかということが出発点でしたね。例えば1曲の中で、主旋律を誰々が書いて、違う人がそれの伴奏書いたらどうなるだろうか、なんて考えたりしていましたし。

――創邦で、ある種プロデューサーシステムみたいに作ったのって、『ぼくが~』が初めてですよね。この曲の中で政貴さんが実際に作曲なさった箇所はあるんですか?

政貴:ありますよ、短いですけど。これ、譜面なんですけど(と見せて)、前奏があって・・・筆跡でわかると思いますけど、これ忠一郎さんが作ったところ。作曲者それぞれが書いた譜面をそのまま綴じてるんでね。ここはぼくですね、次のところは淨貢さんの「あてにならないものづくし」、それから栄吉さん・・・五線譜になってますね。それからここはね、何行目までの歌詞は誰々にって作らせて、しかも「わざとちょっと物足らなく作ってくれ」とか注文出して、それらを集めて栄吉さんが縮めて替手みたいなのを付けて、曲がどんどん壊れていくところをやっているんですね。それぞれが作ってきたのを10とすると、3か4くらいしか残さなかったんですから、みなさんよく怒らなかったですよね。脈絡を保つためにも曲は頭から作っていったんですが、工程表をぼくが作って、前のを受けていつまでにこの部分を作ってくださいって。うっかりすると3日4日で作ってくれなんていう時もありましたけど、これがまたみんな工程表通りに作ってくるんですよ。すごいんですよ。

――何となくぼくなんかは、あの曲の後、創邦が変わったような気がしますけどね。内輪ウケのような、ある種禁じ手をやったっていうのもあるし。でもそれをやっちゃって、それで離れた人もいるだろうけど、コイツらは何でもやりうるんだっていうのがわかってもらえたかなという気もしますね。

政貴:結果としてこの作品が成功だったのかどうかは判断できないけど、まあ少なくとも作り方としては、ひとつの提案になったと思いますね。お金もらってやるんだからお客さんに対して無責任なのもよくないんだけど、ぼくら「創邦」と言って、創作をやりますと言ってやっている以上は、お客さんに失敗作でも付き合ってもらわなきゃいけないのは、ある程度仕方ないことで・・・失敗覚悟で作ることを許されている場ではあると思うんですね、 志があればっていう条件付きですが。

――しかしなかなか冒険はしにくいですからね。だんだんしにくくなりますしね。

政貴:まあ8回くらい(演奏会を)やるとマンネリになってきますよね。『ぼくが~』のはじめの仕掛けに関しては、別に大したことじゃないんだけれども、あれはまず、創邦は創作をする集まりだと。だけどその割には妙におとなしい。だから「おとなしくないもの」を、ハッタリでもいいから見せたかったわけです。だけど曲の内容に関しては、やっぱりある程度人生の真実というかそういうものが、どこか湧き上がってくるものじゃなきゃいけない。そんなに大それたことではなく、この曲でいえば「でもやらなきゃ。」「上手くいかなくてもがんばり続けなきゃ」という。

琴線に触れるところ

――政貴さんの中に、ご自分で作ってみようという気持ちは、創邦とは別にもっと前からあったのではないですか?

政貴:いや、正直それほどなかったです。ただ、中学から高校・大学にかけて、朝倉先生・・・あのー、朝倉摂さんが、ありがたいことにご自分が舞台美術をなさった芝居を「これは観るといいから」ってたくさん見せて下さったんですね。それで月に2本くらいずつお芝居を観ていたんです。主に現代劇です。ぼくはそれにすごく影響受けたんですね、ある意味一番多感な時期ですし。たぶんそれが背景にあると思うんですが、面白いものもつまらないものもあるけれど作品ってそれなりにインパクトがあって、自分がもし作品を作るとしたら、万人がまあまあ面白いと言うよりは、半分の人がつまらないと言ってもいいから半分の人は面白いと思ってくれるような、極端に言えば、9割がすごくつまらないと言っても1割がすごく良かったと言うような、インパクトのあるものを作りたいという気持ちは、もともとありました。ありきたりではあるけれども根本的なメッセージをどこかに込めたい。それをこんなふうに演劇的なしつらえで作ったってことは、今思えばその頃の影響もあるのかなあ。

――朝倉先生はどうして政貴さんに薦めたんでしょうね?

政貴:先生がうちにお稽古に見えていたんで、最初は親にくっついて観ていたんだと思うんですが、多分食いつきがぼくが一番良かったんでしょうね。はじめて感激したのが紀伊国屋かどこかで観た『オッペケペ』という芝居で、要はオッペケペで反体制的な側からスタートした主人公が、体制の側に詮方なく取り込まれていく姿を描いているんですね。それにすごく感激した覚えがあって、たしかそれを朝倉先生に話したんです。「負けたんだなって感じがしました」くらいのことですけど。中2くらいのときかな。そのことで朝倉先生ご自身が、もしかしたら何か感じてくださったのかもしれないです。

――その前にアート的なものに興味があったとかではないんですか?

政貴:あんまりそうでもないですね。アート志向あんまり強くないですし、本もあんまり読んでないし。

――創邦のHPでは、ディスカウの歌っている『冬の旅』が好きだとありますが、最初に聴いたのはおいくつぐらいの時ですか?

政貴:あれはねえ、たぶん高校か大学の頃ですね。父がクラシック音楽が好きで、家で勝手に流れていて、『冬の旅』も、その時はヘルマン・プライだったけど勝手に流れてた。で、ぼくはたまたまその曲がいいと思ってその話をしていたら、「本当はフィッシャー=ディスカウがいいんだよ」みたいなことを言われて、そうかあ、じゃあ買ってみるって自分で買って聴いてみたんです。ご存じでしょうけれども、あれ面白いんですよね、パッと聞きはヘルマン・プライの方がいいんですよ。声も、冬の厳格なかんじも。でもね、フィッシャー=ディスカウは何度も聴いてると癖になるんですよ。なんかねえ、冬の厳しさにやさしさが加わるんですよ。あの感じってのはもう・・・いわゆるバリバリのバリトンって感じじゃないでしょ。あの歌のあの感じ、あれはちょっとないですねえ。

――ぼくね、政貴さんがディスカウの『冬の旅』が好きだっていうのがすごくその通りだと思って、あまりにそれなんでもう笑い転げそうになっちゃったの。ところがその上に「趣味 野球観戦」ってあるじゃないですか(笑い)。スポーツがお好きなんですか?スポーツマン?

政貴:いやいや。体育苦手だけど見るのは好きなんです。王さんが好きでね。圧倒的に打ちましたからね。でも野球って、見ていくうちに他の選手もなんだか好きになるんですね。近鉄の鈴木啓示さんも好きでした。最初は同じ誕生日だからっていうだけだったんですけど。それがね、ちょうど速球派から技巧派に転向して復活した円熟期の頃から、力が落ちてきて、もうダメかな引退かなと思っていたら、もう一度復活を遂げるんですよ。松井さんもかなり応援しました。メジャー行って、ワールドシリーズでMVP取った時や、最後ボロボロの膝でホームランを2本打ったでしょ、その時にね、ああこれは神様からの彼ががんばったご褒美なんだなと思いましたね。ぼくはひどく不信心なんですけど、そう思いましたもんね。そうすると、絶頂じゃなくて陰っていく時っていうのも、見ていて切ないけど素敵なんだよな。・・・なんでこんな話ばかりしているんだか(笑い)。

・・・後篇につづく

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