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金子泰×福原徹 制作責任者対談「藪の中」企画と実行のあれやこれや

金子:創邦21の全員共同制作「藪の中」は、徹さんと私とで全体をコーディネイトしました。いつもの演奏会ですと、歌詞を渡したら作曲と演奏のターンになるので私は楽になるのですが、今回は最後まで気が抜けなかったですね。
会当日お配りしたプログラムに、徹さんがいきさつを書かれています。そのうえで、どういうねらいでやった企画か、なぜこの題材になったか、そんな基本的なお話をしていきましょうか。

《福原徹のコメント・創邦21第19回作品演奏会パンフレットより》
創立25周年を迎え、いつもと異なる企画をということで、同人全員で一つの作品「藪の中」を創る。(…)今回は、作者である金子同人と、作曲同人の中で少し浮いている(と自覚している)私が実行委員になり、公平感などは全く考慮せず、ここをこの人に創ってもらいたい…という純粋な欲求のみで分担を決め、さらに時間、編成など全て細かく指定してしまう方式をとった。後から削ったり足したりして整えるのではなく、先に枠を設定しておいて、その中で同人たちに自由奔放に創ってもらう-これはすなわち、この謎の多い「藪の中」の登場人物たちが、作品世界の中を自由に動き出す、ということに繋がるはずだ。(後略)

全員で創る それ一本で勝負する

徹:創邦の同人全員で演奏したことはあったけど、一つの作品を創るのは初めてだったんですよね。

金子:はい、第二回演奏会から、合同作品って内々では呼んでいますが―つまり共同作品のことですが―それをやってきましたけども、全員で一曲創ったのは今回が初めてです。やはり皆、自分が好きなように作ったものを発表したくて同人になっているわけで、みんなで一曲なんてねえ、という感じがありましたよね。一度はやるべきだと私も思っていましたけど、全然現実的じゃなかったですね。

徹:それが新型コロナ流行の影響で、出演者を少なくすること、演奏会の時間を短くすることを、積極的に考えなければならなくなった。ぼくは前から、みんながもっと小編成で、しかもそんなに長くない曲を創ればいいのになあと思っていたので、それが実現できるいい機会だと思いました。ちょうど創立25周年というのも、同人全員で事にあたるのに良いタイミングでしたね。

金子:そうですね。しかしそうすると、その1曲だけの演奏会となる。個々の同人が引っ込んで、作品、そして創邦21という団体が前面に出てくる。創作の団体としてはある意味普通の姿でしょうが、ちょっと勇気が要りましたね。

芥川龍之介の「藪の中」

徹:全員で創る作品の題材に「藪の中」を提案したのは、金子さんでしたね?

金子:そうですね。最初、同人でどんな内容がいいか相談しましたよね。「○○殺人事件」みたいなのはどうかという意見も出ました。まあしかし、邦楽の新作という時に、全くのオリジナルの話でやるのはやっぱり難しいです。
一つの大きな話を皆で筋を追って創っていくのでなくて、それぞれがそれぞれのアプローチをするような多面体的な作品がいいと思っていました。そして何か現代性を持った内容であると。それを実現するには何をどんなふうにやればいいのか。一案、二案出して、それがまあパッとしなくて、三番目に出したのが「藪の中」。これに決まったのは、それまでの案があまりに残念だったからかもしれません。もうこれでいいよ、みたいな。

徹:ぼくは正直、最初「藪の中」と提案されたとき、抵抗があったんですよ。

金子:あら。

徹:でもね、じゃあ他に何か思い浮かぶかといえばなかなかない。
今回初めてこういう形にするから、かなりキャッチーなものでなきゃいけない。それなりのインパクトが必要ですし、有名な作品がいい。誰もがイメージできるものがいい。でも、道成寺や勧進帳とかの焼き直しをするのではない。そうかと言って、シェイクスピア作品なんかを全員で創るというのも、ちょっと違う。そういうふうに考えた時、現実的な判断として、なかなかうまい線じゃないかと思ったんですよ。
基本的に皆さん題名や、内容もなんとなくは知っている。でも本当のところを知っている人は、もしかしたらそんなに多くないかも知れない。改めて作品を読んでみたら、意外と短い。題名が藪の中、シャレじゃないけど「曲も藪の中」なんていうのもあるかなと。
まあそれは冗談ですけど、とにかく「藪の中」は不思議で、話を足したり引いたりもできる、かなり自由度の高い作品だと思いました。それから、あんまり邦楽の作品に取り上げられてないように思うんだけど、どうですか?

金子:映像は黒澤明の「羅生門」で有名ですし、舞踊やリーディングでは見ますけどね。

徹:音楽だけの作品にはあまりなってないんじゃないかなあ。しかも一人一人の述懐が短くて、オムニバス的な造りになっているのが良かった。

金子:今このメンバーで創るのに、今更古典の「平家物語」や「源氏物語」はないだろうと思いましたので、せめて近代のものにしようという気持ちはありました。

邦楽作品化をめざす

金子:そうは言いながら実はまるっきり出来上がりが想像できなかったんですよ。かなり作業が進んでいっても。でもそこは後でどうにかしてもらうとして、プログラムの  「制作日記」にも書きましたけれども、第一稿を皆さんに見てもらって、もっと芥川の「藪の中」に沿った方がいいんじゃないかということになって、原作の形を踏襲することに改めて、ほぼそれで決まりました。

徹:原作からそんなに逸脱してないけれども、でも違う。これは明らかに金子作品ですよ。うまく書かれたと思います。まず登場人物を減らしましたよね。

金子:はい。話の核心である夫、妻、盗人。3人だけにしようかと思ったけど、それではあまりに話がわからないっていうので、事件のあらましを語る木樵りを入れて。4人にしました。
それに従って場面も絞られましたので、前半は検非違使庁のお白州(?)の場。一件落着風だけど謎を残して後半に続くように、違和感が残る感じを狙いました。後半は後日譚というか場所も時間もバラバラな、謎解きになってない、逃げて行った妻と、死霊になった夫それぞれの物語り。

徹:設定も変えていない。

金子:設定は変えていませんが、固有名詞はやめました。

徹:それである種の現代性というか抽象性が出たのかもしれませんね。

金子:全部関係性で組み立てればいいのですからね。内容のことを言うと、盗人の話の中にサラっと芥川が入れていた、その当時の社会批判のようなものを引っ張り出して、一幕をそれで後味悪く終わらせたことと、原作では夫が「沈んでしまった」と言って終わるのですが、だがしかし、と一言思いを吐かせたこと。それが原作との大きな違いです。
その最後の所「語らねばならぬ」は、徹さんがこれは夫だけの言葉じゃないようにしたいとおっしゃって、夫、妻、盗人、3人の言葉になりました。思っていたことを、よりクリアに実現してもらえました。

徹:一幕の最後、台本に

一件落着風だが何となく後味の悪い音楽で幕。

ってあって、それがとても面白いと思いました。それと同時に、ああここは栄吉さんにやってもらうしかない、こういうのを創れるのは栄吉さんだと思った(笑い)。

金子:それから細かいことですが、徹さんのご提案で、私のクレジットは「脚色」でなく「作詞」としましたよね。脚色では芝居なのか音楽作品なのかわからないと。

徹:そう。あくまでこれは音楽作品です、という主張です。

作曲担当者をがんじがらめにした

金子:そのあとの作曲分担は、同人にどこをやりたいかアンケートもとりつつ、徹さん主導で私が頷くって感じで決まっていきました。

徹:分担の前に、これまでの合同曲ではまず各々が創ってそれを後から調整役が切っていたのを、今回は先にがんじがらめにしておいて、その枠の中で自由に創ってもらうことにしました。

金子:作曲する部分で使う楽器や人数や、長さ(尺)を、あらかじめ指定しましたよね。

徹:少ない言葉でいろんな足枷のある中で、その人の個性が出せるかどうか、それをやってもらいたかったし、やってみたかったんですよ。出演者は最小限。三味線の助演は頼まない。お囃子は2人だけ。

金子:それから今回、盗人、妻、夫、それぞれの独白の間に、別の音楽を挿入しました。それもそこだけ録音にして。その話をしてください。

徹:異質なものを入れたら、形にひずみが出てくるわけです。これには賛否両論あると思います。でもあれが無かった場合を考えると、整った曲にはなったでしょうが、言い方を変えれば、おとなしい平板な曲、弱い作品になってしまうのではないか。実際やってみたものが十全な出来とは言えなかったかも知れませんが。

金子:どんなメロディーかわからない、とにかく異質なものが挿入されることを覚悟しつつ作曲しなくてはいけないわけですよね、その部分を創る方々は。

徹:そう。

上演してみて思うこと

徹:やってみて、思ったより反響をいただいたのは嬉しいことでした。

金子:そうですね。文芸作品を題材にしたわけですが、エンターテインメントでもありたかったし、眉間にしわを寄せてあれがこうなって…と聞くのもいいけど、まずこの芸を聴いてくれ、この演奏を聴いてくれ!っていう機会にできたらいいなあと思っていました。話自体は陰鬱なんですけど。
お蔭様でお客様から、三味線の一人一人の音色や弾き方の違いが、古典曲の演奏の時よりもよくわかった、なんて有難いお声もいただいたそうですね。
それにしても、全部、人物の告白で構成しているんですよね。原作がそうだから仕方ないと割り切って、あとは作曲者がどうにかしてくれるだろうと、もう、信じていました、皆さんを。

徹:それがよかったのかもしれないですよ。全部セリフというか、いきなり本題に入るような歌詞だったのが。それでも十分、個性というか自分のスタイルは出せるし、面白いことができるというのは証明できたんじゃないかな。
ぼくはなんとなく、最初に締めつけたことに、皆がいろいろ言ってくるんじゃないかと思っていたんですね。もっとお囃子を入れたいとか、使う楽器や人数を増やしたいとかね。けれど実際にそういうことはなかった。どんな制限があっても皆さんこなせるし、作った音楽はやっぱりその人の音楽だった。
でも、本人たちは必ずしもいい出来とは思っていないんじゃないかとも思うんですよ。いわゆる邦楽の形式のほんの一部分しか出していない、なんとなく煮え切らない感じというかな。でも、少なくともお客さんの視点では、いつもの創邦よりも面白かったという感想が多いみたいだし、やる方と聴く方の受け取り方の違いもあるんでしょうね。
まあ、もし「藪の中」が成功しているとしたら、作詞の力があったと思いますよ。

金子:お!そうだったら嬉しいですけども。

徹:いやほんとに。これはぼくが芥川を少し敬遠気味だった理由なのかもしれないけれども、芥川の「藪の中」って課題を残したまま終わるでしょう?矛盾を残したまま終わるのはいいとしても、それを王朝文学的な雰囲気の中でやっているのは、ある意味あの時代ならではというような気もするんですね。微妙なところですけど、僕はそこにちょっと引っ掛かるものを感じてしまうんです。解決しなくてもいいんだけど、美しいところに逃げてるとでもいうのかな。

金子:それは感じましたね。他人についてはかなり鋭くえぐるけど、自分はきれいな感じでいるっていうかね。

徹:現代はそれではなかなか難しい。いろいろ刺激的な舞台やなんかが誰でも見られるし、現実の社会でもいろいろなことが起きていて、その中で今あの話を再編しなきゃいけない。

金子:要は、この作品を現在取り上げる理由みたいなものがないと話が締まらないのですよ。

徹:とにかく今回の全員で一曲創るというのは、一つのやり方として一回やってみたかったわけです。次回の演奏会では、また一人一人の世界をきちんと出す。それで、少し時間がたってからまたこういう創り方をやってみたら、やってみた以上の意味があるかもしれない。基本的には、創邦は一人一人の作品を自由に発表する場であるべきだと思いますけれどもね。

2023.3.

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