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公演を終えて  同人コメント

演奏を終えて

金子 泰

本番は客席で見た。聴いた、でなく、見た、という感じだった。
4人しか出てこない唄は、死霊となりたる男、その妻、盗人。木樵り。今藤政貴さんがこの中で担当するなら、声がらその他から、死霊となりたる男だと最初から思っていた。
創邦では女の役は女の演奏家に依頼することが多いが、この妻役には男の人がいいと思った。同人皆々と相談して、どこまでが本心かわからないような懺悔をする役を、古曲・一中節の都了中さんにお願いした。この場だけ屏風の前に座ったこともあり、お蔭様で奥行きができた。
盗人役は杵屋巳之助さんだ。一番の長丁場をずっとひとりで唄うことになってしまった巳之助さんが、曲想が変わり、局面が変わるごとにギアをグイ、グイと上げていく姿には、圧倒され、うっとりした。
木樵りは、若い杵屋巳津二朗さんに。謎めいた、いい導入を作っていただいた。
囃子は蔭囃子。福原百之助さんと堅田喜三郎さんは、見えにくい所から御厄介をかけた。
途中で入る「声」の今藤政子さん、今藤美知央さん、萩岡由子さんは見事な現場対応力で事にあたってくださった。
それから三味線同人4人が揃う所は、見ていてなんだかとても嬉しかった。
すごく大雑把に言うと、どちらかといえば一幕目は純文学狙い風で、二幕目はエンタメ狙い風になっていた印象であった。事前に音だけを聴いた時はそうは感じなかったので、照明や舞台構成による印象だと思う。それもこれも小編成曲をよく知る福原徹さんのハンドリングによる。
大きな経験を得て課題もわかった。聴いてくださった皆様、関わったすべての方に感謝を申し上げます。ありがとうございました。

演奏を終えて

福原 徹

今回は、仕分け役を務めさせて頂いたが、創る上での制限(分担箇所、長さ、編成等)を事前に細かく設定した。それを会議で宣言した際、同人たちの抵抗があるだろうと覚悟していたが、思いのほかすんなりと話が通り、かえって心配になった。皆、やる気が失せてしまったのではないか?そもそも「自分の作品」を発表するためにこの会に参加しているのだから。あるいは、今は何食わぬ顔をしていても結果的に制限を無視したものが出来て収拾がつかなくなるのではないか?
ところが、出来上がった作品は、制限を遵守しつつも各人の個性が溢れるものとなっていた。あとからの調整はほとんど何もしていない。お客様からも好評。この方式もあり得ることが(この会だからこそ、ではあるだろうが)証明されたように思う。
勿論、これが本来あるべき形とは考えていない。やはり各々が自由に作品を出し合うのが望ましい。そしていつの日か、合同作品を創る「潮時」が再来するのを期待している。

演奏を終えて

今藤長龍郎

作曲としては難しかったです。
言葉(セリフ)に曲を乗せるというのに苦手意識があり、今回も語って(唄って)くださった唄の皆様に色付けを増し増しで助けていただき、感謝しています。
三味線の皆様にも、前から知っているかのように演奏していただき感謝なのですが、自分が一番危なっかしくて、ギリギリでした。
政太郎先生・米川先生の作品が長龍郎作品の中に挿入されていましたが、唐突なのにいっぺんに自分の世界にしてしまう政太郎先生作品・スーッと入ってきて気がついたら米川ワールドになっている米川先生作品、それぞれ世界があるって良いなぁとあらためて感じました。
全体として感じた事ですが、同人の皆様それぞれがものすごくバランス感覚に優れた方であるのが、ある意味作品がボヤけてしまう事もあるのかなと思いました。
もっと好き放題作ってしまう・あるいは徹底的に存在感を消した作品を作って存在感を出す…という手法もあるかと思います。 やろうとすると難しいことですが…

演奏を終えて

今藤政貴

「藪の中」の曲作り、実際の演奏に仕上げていくまでの過程は、まさに藪の中をさまようようだった。
金子さんと徹さんによる企画、方針はおもしろいのだが、具体化するのは容易でない。
自分の曲も、演奏も、また曲全体としても、素材の魅力が聴き手にうまく伝わるのか、ずいぶんと不安だった。
少し気分が落ち着いたのは、リハーサル前最後の、全体の練習を終えたあたりで、そのときは結構楽しくて、なんとなくこの方向に進むしかないのだろうと、開き直りに近い感覚を得たのを覚えている。
今回の作品が、演奏も含めて成功だったのか否かは、今でも正直よくわからない。
お客さまの声を聞いても、評価は大きく分かれているのだが、実はそれがぼく自身の感覚と一致しているのである。
ただ、少なくともインパクトのあるものとなったことは自負して良いのではないか。
それが自己満足の類いなのか、もう少し実のあるものなのか、もっと大勢のお客さまにお聴きいただいて、評価を問うてみたいなどと思っています。

演奏を終えて

今藤政太郎

「藪の中」をやるについて、担当箇所はごく短くして欲しいとかいろいろと我儘を言ったことを反省している。やってみれば面白い題材だった。
芥川の「藪の中」がこのたびの演目の骨子であった。が、大映で映画化した「羅生門」が頭にある人もいるだろう。別の「藪の中」が頭にある人もいるだろう。それぞれの頭にそれぞれの「藪の中」がある。
答えが出せないような問いかけにどう切り込んでいくのかが作品の主な切り口であるから、それに触れた人は皆、藪の中に入り込んでしまう。
その迷路からどうやって出ようかと藻掻くだろう。ぼくも大いに藻掻いてしまったが、闇の中から女声のコーラスが聞こえてくるのを一筋の光にしてほどいていこうと思った。
もちろん、ほどけなかった。それは長いこと、それにかかわった人を束縛していくだろう。それがとても面白かった。
みんなどのように束縛されたのか、興味深く思っている。

演奏を終えて

今藤美治郎

今回の作品は、今までの合同曲とは異なり、作曲者に割り振られた部分をそれぞれが物語の流れや空気感を感じながらイメージして作曲し、緊張感が途切れる事のない作品が出来上がったと感じている。
はじめに歌詞を読んだ時、モノトーンの薄暗いイメージに登場人物が現れ、重たい空気感の中繰り広げられる暗闇の世界がゆっくりとした映像になって浮かび上がって来た。
作詞者の金子同人と監修担当の福原徹同人によって決められた割り当ては、作曲者の作風や色を踏まえて配置分担されおり、それがこの曲に鮮やかなコントラストを与えアクセントにもなっていた様に思う。
場面々々での演奏人数や楽器編成も始めから殆ど決められていた為、細かい調整はあったものの、トータルでバランスの取れた作品に仕上がったのではと感じている。
同人全員参加の合同曲として勿論まだ課題は有ると思うが、創邦21初めての形での新しいスタイルの大作になったと思う。

演奏を終えて

清元栄吉

~徹同人の奥行き感~
各同人が腕をふるって書いた、自分含め、みんながその人らしく。ところが。
全曲通して一様に覆っていたのは謎めいた「奥行き感」だった。これは金子同人の操る言葉の錬金術によるものではどうやらなさそうで、福原徹同人によって巧まれた意図と構成のなせるわざ・・冒頭の能管のソロから知らず知らずのうちにまんまと世界にひきこまれ、最後の太鼓の一撃で我に返ってから初めて、しまったやられたと思うような・・に違いない。何年前だったか、紀尾井ホールで児童合唱と笛のための徹作品「ドナ・ノビス・パーチェム」を初めて聴いたときの衝撃的な感動体験、圧倒的な立体感とよく似ていて、まさに徹同人の世界だ。「藪の中」という小説の迷宮的な奥行きと、徹同人のこの謎めいた奥行き感が響き合って見事にひとつの演奏会の時間を醸した。わたしたちはその内側でひたすら夢中で演奏した。創邦21。すごい仲間たちです。

演奏を終えて

松永忠一郎

今回の合同曲「藪の中」は、いままでの創邦21の合同曲の中でも、綿密な計画のもと、作品としても画期的な仕上がりになったと思います。
自分の担当部分におきましては、古曲の都了中さんが語ってくださるのをこれ幸いと、「古近江」(こおうみ)と呼ばれる古態の三味線を使用しました。
新しさを求めて今日のように進化してきたはずの楽器を、あえて古いもので作ってみることにより、何を捨てて、何ができるようになろうとしたのか等を考えてみようと思いました。
様々な理由で変わっていく世の中、前へ進んでいるばかりではなく、時には過去を振り返って、いろいろな時代の良さを再発見し、自然と次のものへの土台にしたり、材料の一つにしていっているのだと思います。これからも続けていきたい手法になりました。

演奏を終えて

米川敏子

難しかったです。とにかく難しいと言う思いが先に立ちました。
二幕の最初は十七弦、挿入歌には箏(十三弦)でとご指定がありました。藪の中の暗いイメージがあったので、どちらも普通に使うと音の世界が綺麗になってしまうと思い込み、十七弦は叩いたりいろいろな奏法を致しましたし、箏では揺れ動く心を刹那的に表現しようとしてみましたが、やり方は色々あったのだと思います。
今となってもまだ迷っています。
全体を見ても難しい作品だと思うのですが、皆様良く聴いてくださり、有難く存じます。
創邦21が創立から25年経ちまして、こうして同人全員で一つの作品を創り上げる機会も得られました。歩みを止めず、これからも創作に邁進して参ります。ご声援、ご支援のほどを宜しくお願い申し上げます。有難うございました。

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