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第8回 創邦21公開講座「創作のキモ」レポート

清元 栄吉


パロディの技術と醍醐味-道成寺ものを素材に-

設立20周年を謳った本年の「創作のキモ」。堂々今藤政太郎の登場。ききては今藤政貴。 7年前の記念すべき第1回「キモ」は四谷紫山会館にて、講師今藤政太郎、杵屋浄貢(当時巳太郎)のダブルヘッダーであった。一巡フリダシに戻った感あって、まことに床しい。 第1回時、会場をパラパラと埋めていたお客様が、この日のアコスタディオは超満員‥ ありがたい悲鳴。席無き筆者は会場外のモニタースピーカーにて鑑賞した次第(笑)。

さて「於鍋道成寺」vs「京鹿子娘道成寺」。 昭和63年の政太郎作品と、宝暦年間に初演された歴史的名曲を、あえて並べて論ずるべきコンテクストをまずは政貴がひもとく。数多い「道成寺もの」。安珍清姫伝説のドラマそのものが表現の意図なのか、または目眩く舞踊作品~レビューのための “パロディ”としての「道成寺」か?‥「京鹿子」の存在意義自体が「於鍋」の価値の高さを正当化する構図が、見えてくる。

その後、「京鹿子」の場面展開に沿って、音源を丁寧に聴き比べていく作業が続く。 古今の名演熱演を、意図的な切り出し方で鑑賞し、またその比較を楽しむ醍醐味を充分堪能しながらも、客席全体はしだいにある種のムードに満たされる。 それは‥政太郎と政貴、異なった個性を持つ音楽家2人からにじみ出る、禁欲的かつごく純粋な制作への真摯な姿勢と。そして邦楽、もとい舞台芸術そのものに対する深い深い尊敬の念なのであった。

余談ながら。終演後の客席にて、名誉会員として現役を退くことを決めたばかりの浄貢が、同人全員と挨拶を交わす場面があった。誰ひとりとして多くは語らなかった。 万感の思いに皆が涙していた。 「創邦」設立20年。そして続いてゆく。

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創作Q面 創邦11面相
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