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ヨミモノ

『下北沢』

清元 栄吉

大好きな街。稽古場のある街。私が人生の時間の多くを過ごす街。横浜で育った私がなんで下北沢かって・・ま、ちょっとした歴史があるのです。
昔「シルクロード」ってTV番組があったの御存じでしょうか?テーマ音楽がシンセサイザーの喜多郎さん。この方の音楽をちぎれるほど(当時のカセットテープ)聴いてた時期が私にはありました・・芸大受験浪人時代。
作曲の課題続きで昼夜逆転の日々に、いつも安らぎをくれた優しい音楽。その年、喜多郎さんの自叙伝が出版されたのを、レッスンに通ってた国分寺駅近くの本屋で見つけ、さっそく購読。サクセスストーリーの片隅に書かれていた、『世田谷の自然食レストランでの出会いが私の人生を変えた』という一節を読んで、すごく憧れました。
その店の名は『ぐ』。下北沢にある玄米食レストラン&バーでした。
私が下北沢でひとり暮らしを始めたのは29歳の春。『ぐ』のカウンターの奥でいつも耳掻きをしながら煙草を燻らしビールを飲んでる、ボブディラン似の風格あるマスターの名はヨースケさんといいました。さまざまなジャンルのミュージシャンやアーティストがヨースケさんの人柄を慕って夜な夜な集まります。ここでのたくさんの出会いや経験は30代の私に大きな刺激を与えてくれました。
毎晩のようにカウンター越しに飲み語り、若かった私の弱さも何も、何でも知ってて何でも受け取ってくれたヨースケさん。「エーキチおまえ、もっとやれる」「バカやろ」。時に励まされ、時に厳しかったヨースケさんは私にとって兄のような存在だったのです。

あれから20年。『ぐ』はもうありません。
ヨースケさんが逝った時、霊前で喜多郎さんは追悼のインディアンフルートを奏で、私は三味線を弾きました。
かつて『ぐ』のあった建物の斜向かいにある私の稽古場には毎月、ヨースケさんの奥様
蕾(つぼみ)さんが熱心に浄瑠璃の御稽古に通ってくださいます。

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