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長い間の御無沙汰、改めて思うこと

今藤 政太郎

 1年以上、ホームページのエッセイ欄から御無沙汰してしまいました。 どこかが特別悪いというわけではないのですが、いろいろなことが多くて、忙殺されていました。

 何しろ6月20日に国立小劇場で、ぼくの作品演奏会がありました。 国立劇場最後の年にどうしても自分の作品演奏会がやりたくて、諸般の事情を考慮せずに強行してしまいました。
 まず「死者の書」の上演を決めました。これは前から松本幸四郎さんと尾上紫さんが踊りたいとおっしゃっていたもので、いつか実現できたらとは思っていましたが、ここでやるとは思っていませんでした。が、御当人たちがやりたいという意思を強く出されたので、やることにしました。舞踊が付くと舞台装置をいろいろ使うことになる、そうすると予算超過になると思い、はじめは録音音源を使うつもりでした。しかし幸四郎さんと紫さんの強い要望により、生演奏でやることにしました。
 もちろん演奏会ですから、この曲一つだけというわけにはいかないので、そのほかに何をやるのか考えて、最初はぼくの作曲の中でも古典の風合いと未来への示唆を表すような曲をと思い、馬場あき子先生作の「松の調」を選びました。これはスタンダードなやり方で、杵屋勝四郎さんと今藤美治郎さん、藤舎清之さん、藤舎呂雪さんをはじめとする豪華な連名にお願いしました。
 2曲目は、僕以外にはあまり手掛けることがないような、邦楽器による小品歌曲集をやることにしました。今までやった曲の再演やオリジナル曲を演奏してもらったところ、バランスが良いと褒められました。
 最後に「死者の書」を持ってきました。幸四郎さんがいろいろ考えられ手を尽くされた結果、小劇場の舞台機構をフルに生かした、斬新かつ魅力ある作品に仕上がりました。改めて、松本幸四郎さんと尾上紫さんの演技力と作品全体を見渡す洞察力は、感嘆という言葉では言い表せないような素晴らしい出来だったと思います。新しい「死者の書」が出来上がったと思います。

 この後というと、やや力が抜けたような気もするのですが、創邦21の「創作のキモ」、「今藤政太郎復曲プロジェクト」、「ぼくがいただいた たからもの」などいろいろな会を行いました。それぞれに全て上出来で、豊かな実りを感じさせるシーズンでした。

 なおこれからですが、来年は5月18日には創邦21の第20回作品演奏会、夏からの「復曲プロジェクト」などがあります。創邦21の演奏会では、ぼくは「富樫」という曲を新しく作曲することにしました。これには、「勧進帳」の富樫の立場に身を置いて、「鎌倉時代の杉原千畝」と副題をつけることにしました。新しい形の作品が誕生すればと思っています。杵屋直𠮷さんに富樫をやっていただくことにしています。

 その他、若い人たちの演奏会をたくさん見たり聴いたりして、喜んだりがっかりしたりしています。
 ぼくはパーキンソン病によって思うに任せない日が続いていますが、それでもこれからの邦楽界の行く末が豊かなものになっていくように、力を尽くしたいと思っています。
 最近気になっているのは、国立劇場の閉館の期間があまりにも長いことです。コロナ禍から漸く立ち直ろうとしている今この時に、これからの邦楽家たちの力を削がないような方法はないかと考えています。

 一年以上の御無沙汰をとりとめなく書き連ねてきましたが、言いたいことはまだまだ尽きません。今一つ言いたいのは、日本独特の文化は、多くの人々が独特のセンスを練り上げて今に至ったもので、断定的に言えば、この我々に遺された文化が、幕末から明治にかけて日本の植民地化から我々を守ったのだと。文化は、経済力よりも軍事力よりもはるかに大きな防衛力だったのです。
 我々に託された日本文化の心を大事にして、発展的に日本人のみならず世界の人々に豊かな心を遺していくために、努力したいと思います。

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