創邦21 第16回作品演奏会 創作Q面 創邦11面相

トップページ > ヨミモノ > [創邦11面相] 今藤政太郎篇 ~その使命その覚悟~ 番外篇

ヨミモノ

創邦11面相

笛吹き同人福原徹が活動中の10人の仲間を巡る旅、題して創邦11面相
今月は世田谷区北沢の自宅稽古場に今藤政太郎を訪ねる。

今藤政太郎篇

その使命その覚悟 [番外篇]

政太郎:しかし徹さんてのは得難い人だよね。

――何ですか急に(笑い)。

政太郎:ほんと。つまりね、社会に対して窓が開いている人なんだね。徹さんはどういうキャリアで笛吹きになったの?

――ぼくは子供のときに、とにかく歌うことが好きで。母親がもともとシャンソン歌手で、のちに七代目伊十郎の弟子になって長唄もやっていたんです。まあそれも伊十郎さんがもう倒れてからのことなんですけど。母は少し古い世代でして、ちょっと変わったものを歌っていたんですね。ダミアの『かもめ』とか。で、そののち芳村伊十郎の声にあこがれて、それで梅が丘のお宅に押しかけて行って入門させてもらったらしいです。ぼくも子どものころときどき一緒にくっついていって、たまにお稽古の真似事みたいなのもやっていた。一方で、ぼくは高い声がよく出たものですから、小学校に熱心な先生がいらして、その先生の勧めでNHKの児童合唱団に入ってボーイソプラノで裏声で歌っていたんです。それが小学校6年生で変声期に入って歌えなくなって、音楽から遠ざかっていたんですけれども、高校になって笛をやりたいと思ったんですね。それで寶山左衛門先生に高2の6月に入門しまして。それこそぼくは法律の関係というか政治家になりたかったんです。でも法学部に入るにはもっと勉強しなきゃいけないし、で、高3になった時に寶先生が「内田君(徹)は大学はどこ受けるんだい?」って話になって「いやあ、いいところに行かれたらいいんですけどね」なんて言ったら、「芸大にも笛のクラスがあるんだよ」ってチラっとおっしゃったんですよね。それがなんかすごく耳に残ってしまって、「あ、芸大行けばいいんだ」って思って、その日の夜すぐに親に芸大受けるからって話して、翌日寶先生を訪ねて「すみません昨日の話なんですけど、芸大受けたいんですけど」って言ったら、「ほんとに受けるのかい?芸人でいいのかい?」って話になって。まだそのとき能管も持っていませんでしたし。それで毎日通って、まあなんとかギリギリ受かったっていうのが始まりです。

政太郎:じゃあ遠いけれども縁故があるんだ。ぼくも七代目伊十郎さんの息子さんの伊四郎さん(十代目)に唄を習ったから。伊四郎さんに習うようになったのはやっぱり伊十郎さんの唄にあこがれたというのが大きかったね。伊四郎さんはすごく巧者な唄でね、うまさでいうと伊十郎さんよりうまかったぐらいだね。声の質が違う。伊十郎さんはバネの効いた声でしょ、ああいう声じゃなくてもっとしゃがれた声だった。でもね、すごい演奏家っていうのはなんかしらないけどカリスマ性があるのね。その人と一緒に出ていると、みんながウワーッとその人の求心力に引き寄せられるのね。技術とかそういうこともあるんだけど、そのほかにやっぱりそういうものもあるね。で、伊十郎さんも間違いなくそれがあるんだよね。

――伊十郎先生は療養なさっているので、ベッドで寝ているわけですよね。お弟子さんはいっぱいいらっしゃるわけですけれど、みんな怖がるわけです。挨拶には行くけど、みんな怒られるからっていうんですぐに茶の間の方に逃げてきちゃう。で、ぼくが行くと、子どもだし弟子でもないですし、みんなが「坊や、行ってらっしゃい」って言うし、ぼくもまたいい気になって先生のところへ行って、当時ちょっと凝っていた手品をして見せたりして。そうすると、ふつうはお弟子さんの子どもが来て手品を見せたりすると「ああ上手上手」なんて言うものですけど、彼は「ちょっとその左手を開けて見せろ」とか「その後ろを見せろ」とか突っ込んでくるんですね。それで子供心におもしろいジイサンだなあと思ってました。すごくおもしろい人というのと、独特の孤独感も感じたんですね。今考えると、違和感なく邦楽界に入れちゃったのは、その時に伊十郎先生のそういうところを見ていたからなのかなあ、とは思うんですけどね。

政太郎:伊十郎さんは、ぼくの子どものころ、よく下浚いをしに家へ見えていたんだよ。そうすると、ぼくはおじちゃんおじちゃんって言って、よく膝に抱かれに行く。すると、坊やおじちゃんのこと好きなのかいって言われて、「うん好き」って答えたんだね。どうしてだい、氷砂糖をやるからかいって言われて、「そうじゃないの、おじちゃんが一番お唄が上手だから」って言ったらしい。それですごくかわいがってくれたのね。子供心にほんとうにそう思ったんだろうね。

――あちらもそういう純粋なかんじがお好きだったんだと思うんですよね。やはり孤独なんだと思うんですよね。ああいう立場の人っていうのは。

政太郎:でもねえ、他の唄うたいだってそこにいるわけだろ(笑い)、ちょっと分別がついていたら言えないよね、よく言えたもんだと思ってさ。しかしねえ、話は違うけれども、ぼく、寶先生に一度手厳しい批評をいただいたことがある。

――えっ、なんですかそれは。

政太郎:あのね、『四季―篠笛によせて』っていう曲が、篠笛の一番嫌な手だけを選んでこしらえてあるって、そう言われた。だからもうちょっと楽器に精通しなきゃいけないなとは思いましたね。

――うちの先生は、笛が出したがっている音と出したがってない音があるって、よく言っていました。でもそれはまあ、演奏家ですからね。

政太郎:三味線だとぼくだってそう思うもんね。なんであんなわざわざサワリのつかない音ばっかり選ぶの?とかね。ぼくはね、よく人に「政太郎さんは引き出しが多いから」っていう言い方されるけれども、いわゆる引き出し作曲っていうのは原則としてやらない。ぼくは古典系で作るときには、ひとつだけリミッターをかける。それは、オトシを使わないということなのね。

――ははあ。オトシの手を使わないと。

政太郎:別にたいした理由はないんですよ。でもそれを禁じ手にしようと思って。 徹さんは作曲はどうなさってる?

――いやいやもうダメです、苦しいですねえ。でも今いちばん気を付けているのは、なるべく本能に逆らわないようにしようと。その、作りたいように・・・それが格好が悪かろうが、おかしかろうが、それが作りたいと思ったらそっちへ進まなきゃダメだなと思うようにはなりました。どうしても体裁を整えようとしていたんですが・・・これはおかしいんじゃないかとか、これは笛には合わないんじゃないかとか。でもそう思っちゃうと結局変なものになっていっちゃうので、そういうリミッターをかけないで、おかしかったらそのおかしい方向にどんどん行っちゃおうみたいな。自分はその方がいいんじゃないかと思っています。

政太郎:そうだね。・・・作曲が実りあるものだった時代があった。それを失ってしまった。それはその当時の実りを享受していたぼくらの責任なんだけども。そうすると今はまず他のいろんなことを一所懸命やらなくちゃならない、忙しい、作曲にかける時間や労力が少なくなる、手近なところで形にしちゃう、となる。でもね、つまらなくてもいい。失敗でもいい。ただその失敗が自分なり人のためになる失敗をすればいいのね。創作ということ、創邦のやろうとしていることって、難しい。でも、だからこそやるんだろうしね。

(同日 同所にて)

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