創邦21 第16回作品演奏会 創作Q面 創邦11面相

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ヨミモノ

創邦11面相

笛吹き同人福原徹が活動中の10人の仲間を巡る旅、題して創邦11面相
今月は半蔵門のホテル・グランドアークに米川敏子を訪ねる。

米川敏子篇

しなやかで つよくて [後篇]

ハイブリッド

――米川さんからは、創邦の他の人が作っている曲ってどんなふうに見えますか?

米川:地歌というのは、地歌の様式はもちろんあるのですけれども、長唄から比べたら決まった型というのがやっぱりないんですよ。山田流の方が、ことばというか語りが多いので幾らか型があるのかもしれないけれど、生田流は、ないんですよ。すごく自由なんですね。歌詞をつけるのでも。だから逆に難しい。型があってうらやましいなってすごく思うのと、それが創作の中でも利用できますでしょ。あとお囃子が入ることね。効果が倍増するじゃないですか。曲が倍ぐらい素敵になるでしょ。それがうらやましい。

――ただまあ、逆に、そういう型とかお囃子があるために、ある種パターン的になっちゃうっていうか、同じようになっちゃうっていうきらいはありますよね。

米川:だからそういう曲ばっかりではやはりつまらないから、栄吉さんタイプがあったり徹さんタイプがあったり、全体のバランスはいいんじゃないですかね。私は何をやるべきかっていつも思うんですけど、ご期待通りにはいかないんですけど(笑い)、お箏的なものがいいのか、オーソドックスなのがいいのか。でもオーソドックスなのって難しくって。書けないですよ。検校さんのような、音の・・・音の、もうあの感覚といったら、わたしたちにはちょっとありえない感覚で。祖父の曲とあと祖父が手付をしたもの、そういうのはかなり検校的なものがあって、やっぱり時代がね、明治生まれですからね。でもわたしたちくらいになっちゃうともう、できないですね。真似みたいなことにしかならないので。ま、死ぬまでには検校的な作曲を、一曲くらい作ってみたい。それで現代にも通用するものを・・・でも難しいですね。検校さんの世界の音の感覚って全然考えられないです。

――しかし米川さんが昔風に三味線弾き唄いの曲を作ってみたら、そんなふうなのができそうな気はするんだけどなあ。

米川:イヤ、やっぱりわたしのやってきた音楽が強いのでね。地歌箏曲とそれ以外の世界とやってきて、もうそれ以外の方が半分くらいは占めてしまっているわけですよね。だから『鐘の岬』だって、『新娘道成寺』として地歌で弾くよりも、荻江の『鐘の岬』として弾く回数の方が多いです。

――でもね、すごいハイブリッドなわけですよ。音楽的に見ても現代から長唄からいろんな分野の方と一緒に日常的にやっていて、ものすごく広い。だから面白いものが作れると思うんですよね。

米川:そうですよね。自分が学んできたことを全部吐き出せたら。

ポイントは唄

――箏曲のひとたちって大変だと思うのは、箏も三味線も両方やるわけじゃないですか。しかも弾き唄いでやらなきゃいけない。実際米川さんの中では、その3つの中のどこがポイントなんですか?

米川:勉強したいのは唄です。若いときからずっと勉強したいと思っているんですけれど、実践のみで勉強してないんですね。で、お箏は仕事場に行くと実践からめて勉強できる、すごく勉強になるんですね。わたしが三味線で行く割合は少なくて、お箏で行くことが多いので。唄は本当に習いたいですね。

――たとえば唄をメインにした曲を作るっていうのはどうですか?

米川:だからそこに自信が持てたら、書くと。

――外から見てて、お箏の曲を書く人って今けっこういると思うんですよ。作曲家もバンバン書くし。でもそういう人が書くものと普段演奏している人が作るものって、絶対違うじゃないですか。お箏の曲を作るのをあんまり洋楽の人に任せきらない方がいいんじゃないかって思う。そればっかりになっちゃうとつまんないんじゃないかって。

米川:で、唄のものは少ないですよね。

――そうなんですよ。器楽的になる。それはそれで素晴らしいんだけど、やっぱり邦楽の人も作ってなきゃいけないと思うんです。両方ないと。そういう意味では米川さんてすごくいいポジションにいると思うんですよ。

米川:地歌箏曲は、「弾き唄い」っていうのは他のジャンルには稀なので、さっきおっしゃったように三重苦で大変なんだけど、このごろわたし、お弟子さんたちに「あなたたちはとってもすごいことをやっているんだ」と言うの。ね。もう弾きながら全然違う音で唄って、それも三味線だったらまだいいんですよ、なぜなら三味線でまず曲ができているところへお箏が後から違う人が手付するのだから。稀にひとりで作った曲もあるけれども。それだから、面白くしようと思って工夫を凝らしてアレンジしているお箏を弾きながら、違う唄を唄うというのは、至難の技なの。今の若い人たちのお稽古日の量ではできないんです。昔のようにやらなかったら。「そのくらい高度なことをやっているのよ」って言ってあげるの。でないと難しくて嫌になっちゃうでしょ?で、自分で自分のジャンルがすごいんだなんてなかなか言えないじゃないですか、そういう音楽なんだから。わたしたちのやっている音楽は特殊なんですよね。やっぱり目の見えない方特有の能力で成り立ったジャンルなので、現代人にはねえ、ちょっと無理。だけど、「みんなやっているんだから、人間、できないものは何もない」って、言うわけです(笑い)。

――同じ人が「弾いて」「唄って」をやるっていう意味合いが、何かあるんでしょうねえ。別々の人がやったんじゃできない何かが。

米川:だからそういう特殊なジャンルだからね、それをやらなければいけないです。創邦で私が器楽曲ばっかり作っているのは、お唄の方がいらして他の方が歌詞のものをお書きになるから、じゃあひとつ器楽曲があった方がいいかなみたいな、バランスをどうしてもね。天秤座なもんで(笑い)、すぐバランスをとろうとするんですよね。全体をいつも見ちゃうから。唄も書かなきゃってずっと思っているんですけど。

――絶対弾き唄いとか作っていただきたい。『折々のうた』では地歌三絃の曲をお作りになりましたよね。あれを弾き唄いでやってもらいたかった。

米川:そぉんな!あの並み居る唄い手がいらっしゃるのにわたしが唄うわけにいかないですよ。

――ぼくいつも思うのは、地歌の弾き唄いってね、メロディーが譜面に採れないような、なんだかよくわからないんだけど、そこがまた何とも言えずいいんですよ。唄と三味線が分かれている場合って、ある種の闘いみたいな面があるじゃないですか。そこが面白さでもあるんですけど。地歌の場合は曖昧なところがすごくいいと思う。決まってないところが。ツレの人がいたり三味線の人が別にいると、メロディーや何かの約束をしなきゃいけない。でもひとりでやったら約束しないでいいわけでしょ。てことはまさしく本能のままできるわけですよ。さっき米川さんのおっしゃった「本能で作る」っていうのだったら・・・

米川:ピッタリだ(笑い)。

――そう、一番ピッタリだと思うんですよね。

米川:唄が上手だったらやっていると思います。あとせめて5年くらい待ってください。

〈現在(いま)に生きる〉曲を

――将来的に、なにかこういう曲を作ってみたいとか、そういうのはあるんですか?

米川:若い時もよく聞かれたけど、なんにもないんですよね。あるがままに生きている(笑い)。その日暮らしですから。

――でも作ることはお止めにはならないんですよね?仮に仕事として頼まれなくても。

米川:ハイ。創邦を辞めようとは思っておりませんし。

――それはなんでですかね?ただでさえ忙しいのに。

米川:イヤイヤ、古典だけを守るのではなくて、絶対にその時代その時代にできたものがないとね。古典も最初は新作なのだから。それが何百年も経って淘汰されますよね。明治時代のものでも、やられるものと殆んどやられないものとだんだん出てきてしまっているわけですから、やっぱり作っておかないことには残らないですから。そういう思いはありますね。残るものって、限られますでしょ。古典のように残るには何百年もかかるわけだけども、それよりもうちょっと今は時代のテンポが速くなってきているわけだし。いいものってそんなにできないじゃないですか、ひとりの人間でね。だからできる人はどんどん作っておかないと。

――古典もお好きでしょうが、具体的にお好きな曲ってありますか?

米川:『八重衣』と『残月』と、それから・・・

――『残月』を挙げる人がわりと多いような気がするんですけども。

米川:あれは前唄があって手事が五段あって短い終唄っていうように、ほかの大曲に比べると構成がコンパクトなんです。唄をものすごくゆっくりやるので20分くらいにはなりますけれども。全体の作りがすごくよくできているんですね。ほんとうに名曲ですね。

――おととし(2013年)でしたか、リサイタルでお弾きになったのは。

米川:そうです、尺八とやりました。祖父の箏の手付なんですよ。それが面白くできているし、三味線もすごくいい旋律ですよ。で、敢えて三味線を無しにして、お箏と尺八で。尺八は、琴古流はほとんど三味線と同じことを吹くので三味線のかわり。尺八って、三曲合奏していると三味線とダブるんですよね。で、手事の速い部分になると、尺八が聞こえなくなる。なくなっちゃうんです。一番端に座ってるせいもあるけど、二つが一緒になって、三味線は撥の音があるからそれが聞こえてきて、尺八はエー?吹いてるの?みたいな瞬間があるんですよ。手事の部分では尺八が浮き立つってことがない。それを、敢えて三味線を取ると、尺八の吹いてるメロディーがね、三味線とベッタリ同じじゃなくって、間にいろいろ入ってる、それがフワァーって聞こえてくるんです。で、お箏はお箏ですごく手が多いでしょ。面白いんですよね、聞こえ方が全然違うんですよね。「現在(いま)に生きる古典」というタイトルでやっておりますので、オーソドックスな三曲合奏は必ず一曲入れますけれど、それ以外はお箏と三味線でやるものを三味線の本手替手だけでやるとかしてね。そうすると聞こえてくるものが違うし、音のイメージも違うし、面白い。

――そういう作業はもっとあってもいいですよね。だってそうやって作ってきたんですもんね、たぶんね。

米川:そうですね。今の人が面白いと思ってくれなきゃしょうがないのですけどね。わたし、リサイタルに毎回、邦楽と関係ない一般の人をご招待しているんです。聴いたことのない人に聴いてもらいたいと思って。小学校の同級生とかね。寝に来るんだけど(笑い)、「今日はあんまり寝なかったよ」(笑い)なんて言われるんだけど、でもそういう人がいつか寝ないで食い入るように聴いてくれなきゃ困るから、毎回来てもらうんです。聴衆を開拓しなきゃ。関係者ばかりがいるのではちょっと。

――まだまだこれからたくさんの曲をお作りになりますね。

米川:はい。皆さんもそうです。

――ほかの楽器の曲を書こうとかは思わないですか。

米川:ほかの楽器?いやまずは素敵な旋律の唄が書きたいですね。あとは、なかなかできない大編成の曲も、いつかは・・・

――創邦だと可能ですよね、それは。

米川:でも皆さんに「何これ?」とか言われながら弾いてもらうのもね。「弾けない!」とか言いながらやってくれるかしら(笑い)。でも出来上がりが面白くないとね。そうだ、今度、「絶対今回はあなたが大編成を作らなきゃいけません」みたいなことをやるのもいいと思いません?

――(苦笑い)ぼくはいい。小編成でいい。

米川:で、必ずお箏を入れるとか何を入れるとか決めて。

――やりにくいなあ、それ(笑い)。

(2015年4月22日 ホテル・グランドアーク半蔵門にて)
ききて:福原徹、記録:金子泰

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