創作Q面 創邦11面相

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ヨミモノ

創邦11面相

笛吹き同人福原徹が活動中の10人の仲間を巡る旅、題して創邦11面相
今月は銀座ライオンに松永忠一郎を訪ねる。

松永忠一郎篇

古典的スタイルにこだわる理由 [後篇]

古風を愛す

――創作への態度というか新作の方向は伺いましたけど、古典の長唄では例えばどういうのが好きなのですか?

忠一郎:やはりわりと初期の頃のものですね。古い曲。長唄って、享保頃から記録が残りだしているんですけど、それからいろいろ時代で転換期があるんですよね。たとえば浄瑠璃が入ってきたり。まあ時代でいえば、文化文政もいいですけど僕はその前、寛政ごろですかね。人でいうと初代杵屋正次郎。『高砂丹前』『菊寿の草摺』『木賊刈』『岩井の花車』、それから『春駒』『白酒売』。正次郎の前のものも、もちろんいいですね。『京鹿子娘道成寺』『執着獅子』『枕獅子』。格式を保った優雅な感じがいいです。

――ああ、それは忠一郎さんの曲聴くとなんか納得しますね。

忠一郎:初代正次郎あたりがひとつ、曲がり角になっているんですね。昔ながらの品を保ちつつ、メロディアスでもあり、ギリギリ古風なものを残しているっていう。「岩井の花車」いいですよ。華やかな感じもあって。

――『木賊刈』『羽根の禿』もメロディーがいいですよね。ちょっと素朴で。

忠一郎:ええ。それから長唄以前ですが、江戸では浄瑠璃の世界で半太夫節、河東節があるんですが、河東節ができたのがちょうど長唄の初期くらい。たまたま河東節を学んだこともあって、そっちの方も興味ありまして…ものすごく硬いんですよ。また河東節も初代の頃っていうのは特に格調もあって。その河東節の硬い感じと、長唄の優雅な感じと。それから僕、一番影響受けたのは地歌ですね。検校さんたちの音楽のいろんな試み、あの多様さ。好きですね。その3つですかね、自分の中で好きで基になっているのは。それらに自分のアイデア、ロックであろうと長唄であろうと何であろうと自分の思いつき、アイデアをプラスして、それで最初にできたのが『梅若涙雨』です。

作る人・忠一郎

――忠一郎さんの作品の作り方はどんな感じなんですか?金子さんとよく組んでますよね。

忠一郎:だいたい、僕がこういう方向のものはどうですかって言って書いてもらうんですが、取材というと大袈裟ですがその場に足を運ぶこともあれば、題材や曲の規模を相談したり、調べたことを話し合ったりして、できた歌詞にあまりダメは出さないで、基本そのまま受け入れます。逆に歌詞が新たな発想の基になります。なるべく出されたものをやるのが、自分の音楽をふくらませていく上でもいいようですね。それから踊りやら頼まれ仕事で曲を作るときなんて、僕はあんまり人のニーズを敏感にキャッチする方ではなくて、まず一通り作って見せても「こうしてください」と言われてしまうばっかりなんですが、でもそれはそれで、要望に応えるのにも面白さを見つけたかなあ。その中でどうやって自分を出そうか、みたいな。しかし作曲しだした頃は畑を掘れば次々アイデアが出てきたんですが、そろそろ枯渇してきたので、この畑をどうするかが今後の課題ですね。

――作る時、忠一郎さんは三味線を触りますか?楽器触らない人もいるでしょう?

忠一郎:いろいろですよ。最初のころはメモ帳をずっと持っていて、電車の中でもどこでも思いついたら書き留めていましたし。最近は手帳の端っこにチョコチョコって書いたりします。作っているときはなおさらですけど、べつにふだんでもしています。ずっと考えていないと、何を見ても聞いても通り過ぎちゃうだけじゃないですか。それに、作りたいっていう思いはあって、思いついてあっいいなと思っても、書き留めないとすぐ忘れちゃうんですよ。覚えていようと思ってずーっと口ずさんでいでも、なんか違うものが入ってきちゃってアリャ?ってことになって、惜しいこともしているので。

――メモを持ち歩くってのはスゴイなあ。べつに創邦の期限が迫ってなくてもやってるっていうのがまた凄い。だから作曲も早くできあがるんですね。そういうスケッチは実際に曲の中で使っているのですか。

忠一郎:使っています。初期のころはほとんどもう、こうやって思いついたものをまとめて曲にするぐらいのかんじでやっていました。あの頃はなんかガツガツしてましたね。20代後半くらいですかね。外から依頼を受けて、与えられたものを膨らませるっていうよりは、自発的に思いついたものが 膨らんでできた、そういうのが曲と思っています。それは全く時代とか人とか関係ないので売れる わけがないんですが、それが自分自身でもありますからねえ。

――これからも作っていかれるわけですが、忠一郎さんの中では、自分が曲を作ることと三味線を弾くことは繋がってることですか?別のことですか?

忠一郎:繋がってますよね。自分が弾くための曲を作る、ですよね。筋肉があって血液がそこに流れてるみたいなもので。僕ができる楽器の演奏技術、作曲の技術、全てを含めて自分から出る作品であるということを、自分の会を持って世の中にアピールしていきたいと思いますね。

――昨年夏に第1回のリサイタルをなさいましたが。

忠一郎:演奏会っていうより、いろんな人に気楽に来てもらうように寄席のイメージで、「始まるよドンドンドン」みたいな感じにしたかったんですけどね。なかなかイメージ通りにはいきませんでした。次はどんなふうにしようかって考えています。

――全部自作でしたよね。そこに1曲くらいは古典の曲を混ぜようとは思わないんですか?

忠一郎:もし仮に古典の長唄の演奏会をやっても、自分の作品だけの会を別に持っていきたい、そこには古典は入れないってスタンスでやっていきたいんです。というのも多分それはバンド時代のことがあるからなんだと思います。バンドって、アマチュアであっても自分たちで作った曲をやるのが大前提ですから、人が作った曲ばかりをやるのは如何なものかっていう感覚があるんです。もちろん古典の長唄にそれは言い過ぎとは思いますけど、自分の中にそれがあるから、自分の会では自分の「こさえた」もの、自分のオリジナルを出す。シンガーソングライターなんてそうじゃないですか。路上で演奏している人だってそうでしょう?あの感覚ですね。

――なるほど、たしかにそうなんだよね。古典といっても要は誰かが昔作った曲だから、それを演奏するのはコピーだしカバーだとも言えますよね。

忠一郎:去年1回(作品演奏会を)やってみて、これからもやるものは自作品って決めていますけど、会のスタイルについてはもうちょっと考えなきゃなあと思いました。徹さんもご自分の会でいろいろなさっていますよね。僕もそれを見習ってやってみようと思います。なんで今まで全く何もしなかったのかなって、思いますよね。

そしてやっぱり作る人

――今後こういうものを作りたいとかはないですか?その時その時の自分の感覚でやっていくということですか?

忠一郎:あんまり先をどうこうって考えてないんですよ。その時思いついたものを作品にしたいので、その「思いつく」環境をいつも作っていないといけませんね。それで、思いついたものを作品にすることの繰り返し。そういうのが続けばいいなあと思いますね。

――弾き唄いの曲なんか、今後作ったりなさいませんか?前、創邦の試演会で弾き唄いもちょっとなさってませんでしたっけ?弾き唄いしている忠一郎さんの姿が記憶に残っているんですが。

忠一郎:そうですね、やっぱり世俗音楽って弾き語りじゃないですか、日本だってヨーロッパだって。音楽の最小単位ですよ。 河東節を勉強することで浄瑠璃の世界を知りますよね、そうするとわからないことが出てくる、それを調べる、とやっていくと、浄瑠璃は薩摩淨雲に辿り着きます。そこまでは、本を見ればどれにもそう書いてあります。その先はどうなっているのだろうか?それが知りたくなりますよね。そうやって遡っていくと、やはり平家でしょう。平家琵琶に行き着きますよね。そしてその周辺のもの、説経とかも気になる。説経は音はわからないからそれについて書かれた本を読むしかないんだけれど、ともかく弾き語りの歴史を辿るようなことになります。 それから、邦楽と比較するためにヨーロッパの昔の音楽はどうだったかと考えてみると、僕たちはすぐ西洋といえばクラシック音楽だといって引き合いに出そうとするけれども、宗教音楽や宮廷音楽ではなくて世俗音楽を見ていかなきゃいけないですよね。だって歌舞伎は世俗的なものでしょ。そうするとトルヴェールだとか、やっぱりここも弾き語りなんですよね。

――これはもう弾き語りするしかないですよ(笑い)。

忠一郎:そうですね。自分の会で1曲くらいそういうのを入れてみるのも、ひとつ考えてみていいですね。まあ、今まで僕は自分の殻に籠り過ぎていたきらいがあって、というか、わざとそういうふうにしてきたんですがね。発想は自分自身でどうにかするものだと、自分で籠れる殻を作ってその中でやってきたんですが、外からの刺激もちゃんと受けないといけないって、思うようになりました。

――前に、創邦の演奏会10回記念のパンフレットで、三味線弾きになってなかったら?という質問に「あまり流行ってないバーの店長」と答えていらっしゃいましたけど(笑い)、何か特別な意味はあるんですか?

忠一郎:タバコ屋でもいいんですが、要は、あんまり忙しくないバーで生活を安定させたら、自由に創作できるじゃないですか。

――あ!作るための話なんですね!バーって接客業ですけど、人と接するのは平気なわけですか?

忠一郎:いやあのねえ、あんまり得意じゃないですけど、マニアックなバーだったら喋らない店長でも大丈夫でしょう。

――マニアックなバーってなんですか(笑)。でも三味線弾いているのも楽しいわけでしょう?

忠一郎:そりゃもちろん。そうでないと人とも出会わないので・・・結局、バーの店長にはならないんですよ。やっぱり三味線弾いているんでしょう。やっぱり僕は音楽が好きなんで。バンドも長唄もほかのものも、要は「音楽」なんですよ。その中でも真ん中の太い柱は長唄です。だからあちこちで勉強しても長唄に戻って、その古典も新しいものを作るのもいろんなことも、自分の人生に取り入れて自分のものとしてやっていきたいんです。結局、我が強いんですかね。でも、自分が作りたい曲、作りたい音楽といったって、どんなものを目指しているのか、わかっていたつもりでもすぐにわからなくなりますしね。それで、完成したいと思いながらできないから今でもやっているわけだし。でも知識とか経験は一応は増えているから、張っているアンテナにかかるものも変わっていきますよね。

――たとえばどんなふうに変わったのですか?

忠一郎:そうですね、今気になっていることは長唄のルーツなんですよね。狂言小舞なんかもルーツのひとつではありますけど、今は元禄時代に上方の歌舞伎の三味線を弾いていた岸野次郎三とか山本喜市とかが気になって。その人たちが作っていた『古道成寺』をちょっと聞いたんですけど、地歌の人たちが伝承したというかんじでしょうか、安珍と清姫の話、一緒になろうねといいながら安珍が逃げちゃうあの話を、わりと一本調子でやりながら盛り上がっていくんですが、その中の手の一部が長唄の『紀州道成寺』に使われているんです。ということは、『紀州道成寺』を作った人はこの『古道成寺』を知っていたということでしょ。みんな勉強しているんですよ、作る人は。享保時代から長唄はあるけれども、それ以前の元禄時代のことはわからない。そうすると、元禄時代からあって残っている他のジャンルのものを聴いて、推理するしかないですよね。とかまあ、そんなことを考えています。 調べていって、自分で頭の中に作っている関係図みたいなものの、それまで空欄だったところにポコッと入ると面白いですよね。いろいろな方の影響を受けたりお話したりするうちに、教わったり自分でも調べてみようってことになるんですよね。それが自分の中でどういうふうに曲作りに結びついていくか、僕自身もどうなるかわからないんですが、ちょっと楽しみでもあるんです。

――それはぜひ伺いたいですね。ほんとうに楽しみにしています。

(2014年12月23日 銀座ライオンにて)
ききて:福原徹、記録:金子泰

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