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『感涙の響泉師』

今藤 政太郎

 それは令和元年十月二十三日、長唄協会秋季演奏会の時のことでした。その日は実は僕の弟子たちが、僕の作品である『雛の宵』を演奏することになっておりました。こんなことを書くと僕の門弟たちは激怒すると思いますが、その日の僕の眼目は、御年百五歳の響泉師の新曲浦島の演奏でした。(ちなみに僕は十月十日に八十四歳になりました。)
 幕が開き、置き唄が終わると新曲浦島の置きの大薩摩が始まりました。しっかりしたなどと言うのは上から目線の言葉ですが、新曲浦島の冒頭はこのように弾くのだ、という撥さばきと、スピード感あふれながら大海原を彷彿とさせるような大薩摩でした。全くよどみのない演奏で、程よいノリでした。お年から考えて、失礼ながらウンデレガン(昔の言い方でダレて、だらしのないノリのこと)で弾かれることを想像しておりましたが、そんなことを思った自分を大いに恥じました。立派な演奏で水三重の入れ事というおまけまでついて、曲が終わった時は、止めた息が一気に出て、おまけに涙まで出てきました。ノリの生け殺しといい、爽快さと言い、三世今藤長十郎先生に教えて頂いたのと同じような流れでした。これは手前味噌かな……
 感激のあまり、お目にかかったこともない響泉師を楽屋に訪ねて参りました。大変しっかりした口調で「ありがとうございます。習った通りですよ。」と仰って下さいました。おまけに共演の皆様方とご一緒に写真を撮って頂きました。ついでのようですが、僕の門弟たちもよい演奏をしてくれました。(弟子自慢で恐縮ですが)良い一日でした。それにしても百五歳であの演奏をなさるということが、素晴らしくもあり、羨ましい限りです。
今藤政太郎

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