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第7回 創邦21公開講座「創作のキモ」レポート

清元 栄吉

まず会場のアコスタディオを埋め尽くす満場のお客さまに感謝。
「創作のキモ」も回毎に、お客さまが増えつつあるのは嬉しいばかり。
音楽大学現役の学生さん他、足を運んでくださった(邦楽界に限らぬ)若き世代との交流は
とりわけ価値の深いことと思う。

さて
『構想と配置の関係』とテーマを冠した今回のプログラムは以下のとおり。

Ⅰ部 “simplize”
「夏のおもいで・冬のできごと」

作詞・作曲:今藤政貴
講師:今藤政貴  ききて:金子泰

Ⅱ部 演奏者をイメージした曲作り
「女を論ず」

佐藤春夫詩
作曲:今藤長龍郎
講師:今藤長龍郎  ききて:米川敏子

ここからは筆者の、感想というよりむしろ個人的発見。
この2作品、どちらも大変な力作ながら、詞章に対する音楽のアプローチがなんとも正反対で見事に対照的。普段、無意識に作業しがちな私たちの創作過程におけるスタンスの違いが、はからずもくっきりと浮き彫りになったのである。

政貴作品は 自作の詩によるもの。これは完璧なる心理ドラマであり、言わば私小説。 ある主人公の一人称の視座を離さぬまま、作品の世界は展開して終わる。音楽(または音)は巧みに構成され、組織されてはいるけれど それは作品世界を具象化するための材料であって、雄弁な道具であるにすぎぬ。
観客は詞章を読んだだけでは味わいきれない、大パノラマの映画館のような豊かな体験を、完全な演奏を通して味わうことになる。実際のところ筆者は。見応えのある映画を観たような深い感動と満足に(作者自身による綿密な解説がなされたがゆえ、なおのこと)心を揺さぶられた。

一方、Ⅱ部の長龍郎作品はどうであろう。
米川同人の落ち着きある、巧みな会話のキャッチボールを通じて、やはり作曲者本人が作品の細やかな作曲意図や、組み立ての妙を語る。その後に一曲を聴くことの感興はまことに深いものであるのだが、はたして・・比べるつもりもなかったのだけれど。
Ⅰ部では、演出の意図に神経を尖らせ息を潜めていた楽器達、声達が Ⅱ部では、いかにものびのびと躍動していることに驚かされたのである・・
長龍郎作品において、詞章の言葉ひとつひとつは丁寧に尊重され、また極めて明瞭に聴衆の耳へ届いて来るのだけれど、その実。それらはむしろ演奏家の個性、プレイヤビリティを解放するためのいわば引金、トリガー、お題、のようなものであって、聴き手側の体験は、詞章の世界を横目に突き抜けて、演奏家の自己表現そのものを存分に満喫することになるのだ。
全曲の音源再生の、終盤のクライマックス部分で長龍郎同人はやおら、準備していた三味線を抱えると、驚いたことに音源に合わせて一糸乱れぬ実演を披露した・・あまりにもそれが完璧だったために、視界の限られた後方の席からは、実演と気づかれなかったほどだった。
そのさなか、筆者は感得した。この公開講座そのものが、長龍郎同人にとってはプレイヤビリティの発現のための一つのトリガー、と起きていたのだ ということを!

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